脱SEして文筆家になった人

脱SEして文筆家になった人

四ツ葉真生(よつば まお)の過去ログ。twitter共に不定期更新。

情報の未来へ駆け走る


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Self Review

文芸コンペ用作品。かつ、協会賞として第一席に選出されたものである。

出来るだけ平易に、それでいて主張をはっきりと、という部分に意識して書き上げた。

題材的にはわりと以前から書きたかったもので、個人的にも好きなジャンルなので、完成した際に満足感を抱いたのは久しぶりである。

と言いつつも、いつものことだがページ数制限に頭を悩ませた。

長く書きたいと思うもの、逆に短く書きたいと思うもの、それらを書きたいテーマにあわせて使い分けるには、まだまだ工夫が必要なようだ。

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情報の未来へ駆け走る

 その昔、私は「コレクター」だった。

 玩具や書籍、宝飾的なアクセサリー、ステレオなどのAV機器に至るまで。

 それこそこの世に散らばるありとあらゆる珍しいもの、面白いものを集め尽くしてやろうと躍起になっていた時期もあるくらいだ。

 しかしある時、その熱は急激に冷めてしまうことになる。

 理由は多く語るべきではないので控えるが、その時から私は、今まで集めたコレクション達をただひたすらに処分し続けていった。

 いま自室の中を見渡すと、必要最低限の衣服、仕事やプライベートで使用する書類、その他には情報社会に不可欠な通信機器程度しか残っていない。

 現在私の部屋には「モノ」と呼べる物がほとんど無い状態なのだ。

 例えば突然引越しをすることになったとしても、荷物などものの数分でまとめることが出来るし、火事で私物が燃えてしまっても痛手は少ないと言える。

 万が一泥棒が侵入したとしても、実に何の魅力もない殺風景な部屋に映ることだろう。

 ……ところが、だ。

 「モノ」が減るにつれて、加速度的に増加していったものがある。

 それは「情報」である。いわゆる「デジタルデータ」と言い換えることも出来るだろう。

 私は以前、漫画家のマネごとをして自作のイラストを描いていた時期があった。

 それらを廃棄する際、お気に入りの構図の物はもれなくスキャナでデータとしてパソコンに取り込んである。

 今まで膨大に部屋に溢れていた書類も然り。手書きの物はパソコン上で入力し直した。

 〝物体的な〟コレクションは、注釈文を付けた上で、デジカメの写真として保存。

 処分したというよりはむしろ、こういった類の方法を駆使し、周りにあった全ての「アナログなモノ」をデジタルデータに変換していったのだ。

 すなわち、部屋の空間自体はほとんど圧迫されていないのだが、情報の密度という意味においては、以前よりかなり過剰に一極集中になってしまっているかもしれない。

 ここで一つの懸念がある。

 どうしても誰もが錯覚しがちな部分なのだが、本来「デジタルデータ」とは、「永遠でも不変でもない不完全なものである」ということだ。

 例えば身近なのものでは、CDやDVDにおいて、数年から数十年で中に記録されている情報は劣化、あるいは消失する。

 デジカメ・パソコン等に搭載されている大容量データ保存機器もほぼ同じくである。

 どんな高級な部品を使用しても五十歩百歩であるし、大企業が所持するプロ仕様の製品ももれなく、そのデジタルの宿命に抗うことは出来ない。

 仮に、いまこの地球上の人類が一瞬で滅亡したとしよう。

 周りに残されたデジタルデータ及び電化製品をはじめとして、鉄やコンクリート、プラスチックでさえも長い年月を経ると風化して跡形も無くなってしまうらしい。

 つまりデジタル化が進んだ現代において、この文明が滅び、気の遠くなる歳月が経った後に再び文明が興ったとき、私たちがその文明の生命体に伝えられる物は何も残されていないということである。

 しかし、例外もある。デジタルを凌ぐ長寿命の情報保存媒体――「石」である。

 岩などに彫られたような文字や絵は、おかれる環境による差異はあるにしても、保存期間という点においてかなりの優秀な信頼性があるものなのだそうだ。

 古代史を振り返れば、確かになるほど一理ある話である。

 その当時の人類は経験的にそれを知っていたのかどうかは別として、少なくとも私たちは先人達が残してくれたそういった情報を引き継いで、いまこの瞬間にここに生きている。

 私たちも同じように、次世代の人々に受け渡せる情報は所持しているのだろうか。

 我々は数十億年もの間、絶え間なく脈々と続いている生命の歯車である。そして遺伝子というものを次代へ渡す依り代としての意味を背負っているのだ。

 ある者は命の息吹そのものとして子を生し、またある者は知という名の無形的な至宝を後世に伝える。

 私の頭の中にはまだまだ今生に表現したいことが山ほどあるのだ。壁画にして世に残す……というのはさすがに現実的な話ではないだろう。

 私の〝使命〟とは――「文字」を駆使し、私の主張を未来へ書き残す――ただひたむきに表現者として走り続けてゆくのだ。

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