win11はおそらく盛大にコケる。そんな予感がしてならない。
仕事上で必要でもないのに、いま好きこのんでアップデートしているのは、人柱になるべく新しいもの好きで実験体質のPCギーク達だけな気がする。
それ以外の一般ピープルの反応はあんま見えてこないっていうか、むしろ何だか好意的に受け止められている感すらあるので、Windows11はいつの間にか、かのVista以来の黒歴史となることを、ここに逆張りしておこうと思う。
たとえば90年代後半の次世代ゲーム機戦争において、セガは機能を先取りして注力しすぎたことと、後方互換をなくしたことで敗北した。
ドリームキャストで実装されていたダウンロードコンテンツやネット対戦など、いまやごくごく当たり前だ。
しかし当時はユーザーのゲームに対する志向と環境がそれに追いついていなかった。
新ディスクの開発には当時社内でも議論があったことだが、もしあのとき、サターンとの互換をうたっていたら、対プレステ2との勢力図はもう少しだけ変わっていたかもしれない。
こういった構図はPCにおいても適用できるはずで、いまをより良くする機能というものはそれほど現在のPCに求められていないのではないか。
持つこと自体がそれっぽいオシャレ感を醸し出すアイテムとさえなってしまったMacと違って、XBOXが箱と呼ばれるように、WindowsというOSは所詮ただの各機能の入れ物である。
より便利により簡単により快適に、一家に一台どころか一人一台、これらの役目への関心はいまやほとんどスマホへうつってしまった。
キラータイトルがあるコンシューマゲーム機と違ってPCにそれはない。一発逆転できるような代物ではないのだ。
だから、CPU発売年で単に区切ったかのごとき無慈悲な条件、そしてそれ以外は公式サポートをしないのは、ある意味暴挙であって今まで以上に移行を難しくする。
ただ、当然更新しないという選択もある。しかしMSがセキュリティの向上をうたっている以上、いずれはアップデートしないわけにはいかない。
となるとCPU等々がスペックを満たさないのなら筐体の買い替えしかないが、例えばワークステーションで使われるXeonシリーズで、今も現役稼働中のCPUも軒並みリストから外れているのは一体どんな判断だ。
TPMやUEFIなどはまだ許せなくもない。だがCPUのクロックでもコア数でもなく、なぜ世代なのか。
○○lakeがおkで、その親であるskylakeがダメのはなぜだ。それは区別ではなく差別と呼ぶ。
もちろん非公式でよいならば、レジストリをいじってOSのクリーンインストール等すれば11にできるが、そもそもそれがMSの想定する多数のユーザーの姿と言えようか。(反語)
少なくとも多くの一般ユーザーにとって、PCに対してのセキュリティや新機能はほぼどうでもよく(本来望ましくないが)、ゆっくりとした移行が適している。
極端な話、動作さえが軽ければそれでよいのである。筐体のスペックアップやOS更新が必要なほどコンテンツやソフトは進歩していない。
XPのサポート期間をムダに長くしてしまったことで、MSはいつまでも移行ができなかったという苦い思いがあるのだろう。
しかしそれだからこそ、xpから7, 10への更新が皆スムーズに行えたはずだ。
これまでの歴史を振り返れば、Windowsは「隔」ver.において、中途半端OSを世に送り出す。
7から8を経て10に移行したユーザーはどれだけ居たのだろうか。
もちろん11はあのvistaのような地雷にはならないのかもしれない。だがそれとはまた違った意味で、不人気OSとなる気がしている。
この更新の名のもとにユーザーやCPUを切り捨てる姿勢、なにがSDGsだ。持続可能性のみならUbuntuの方が優れていることになってしまう。
かつそれがスペックそのものではなく、年代(世代)によるざっくりとした区切りという選択を許していくなら、WindowsはAndroidやiOSと何ら変わらない、むしろ単なるアプリの仲間入りである。
WindowsというOS界の勝者は、ディファクトスタンダードの立場でユーザーを人質にとっているに過ぎない。
しかし他方で、これも仕方のないことなのだろうとは思う。
OSは作ってしまえば終わりではなく、他のソフト同様に永遠と修正パッチを当て続ける保守作業がある。いつか水が満たされるはずのバケツに、どんどん穴が開いていく。
売上は大して出さないのにコストを生んでいく。であればいっそ、刷新したほうがよい。大体そういうことだろう。
それは誰もが今のまま新しくしてくれればいいのに、と思いながらもムダにモデルチェンジで外観を変えていく乗用車と同じである。
ゲイツは慈善事業に関心があるが、当然MSが行うべきはビジネスだ。
となるといずれ近い将来、OSさえもサブスクリプション方式になるのではないかと懸念している。