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Self Review
2015年第四期~2016年第一期コンペ分。
原稿用紙2ページ程度ショートショート。規定では一応ノンフィクション指定だが、まぁ若干の脚色を含んでいるので半フィクションといったところか。
いま振り返ればもっと書き足したいところ、逆に削りたいところが山ほど見つかる。
そもそも日常生活において、それがドラマチックに展開するような出来事はそうそうあるものじゃないんだよね。
それをいかに文章力という観点において巧く表現するか。
脱稿直後と、その後改めて見直したときの温度差、それをできうる限り縮小するということが、完成形への近道なのかもしれないなぁ。
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『私はガラクタを売っている』
ここは私が父から受け継いだ、小さな小さなリサイクルショップ。
ある日、いつものように大量の不用品を買い取ってほしいというお客様。どうやら所謂遺品整理で出てきた品物らしい。このご時世、決して珍しくない話だ。
私のポリシーは、多くの品目から出来るだけ真の価値を見出していくこと。だが、どうしてもその中のひとつ――精巧美麗な手巻きの腕時計だけが――さっぱり今まで見たことも聞いたこともないブランドの代物。長らく幅広いジャンルを扱っていても、少なからずそういう類のものに出会ってしまう。私はなんとか類似品の相場から価格を算出し、買取は無事終了した。よくあることだ。このときは特にその時計に気にすることもなかった。
後日、一人のご老人が、店内のある箇所をぼんやりと見つめている。そして、ハッと我に帰ったかと思うと、一目散に私のいるレジの元へ。
「あそこに置かれている腕時計を、是非とも頂きたい!」
その方が指差す先には、先日買い取ったばかりの例の時計。まだ未清掃で、売価も未定なために放置したままである。私がやんわりと断っても、幾らでも構わない、とまでおっしゃる。
どうやら聞くところによると、その方がまだ幼い頃、近所の時計屋さんでデザインに一目惚れし、当時欲しかったものらしい。しかし、少ない小遣いではなかなかお金は貯まらず、いつしかその時計店は閉店し、結局買えず終いに。以来、数十年もの間、ずっと暇さえあれば骨董屋巡りをして、名も知らぬその時計を探していたらしい。
私はその方へ、そのままそっと、時計を手渡した。ご老人は何度も何度も、私にありったけの感謝感激の言葉を投げ掛けてくださった。私も思わず笑みがこぼれる。
今日も、私は思い出を売っている。誰かが紡いだ思いを、新たに別の誰かへ受け渡すために。