よつまお

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【所感】オタク≒非モテの歴史その1~公式記事より

 
さて、N.E.U.T.R.A.L恒例ネタになりつつある非モテ論。
今まで様々考察してきて、もうこれってぶっちゃけ本人次第で不毛な話なんじゃないかね?って思いかけているんだが、とは云え救える者がいるなら救いたいと思うわけで、それがmaftyさんが"興味がない"と言及しつつも、論述し続ける理由なんじゃないかなと。。
今回は公式記事内容の本線からいささか外れて以下語らせてもらうと、、
私自身はオタクと自称するにはおこがましいほどの守備範囲の狭さなんだけれど、"他に暇を潰せる方法を知っている"という文脈においてはオタクであるし、非モテまたは非リアというカーストからは一線を画するんだよね。
どうもオタクってのは恋愛や現実からの逃避と見られがちなんだけど、むしろ逆で世間の押し付けの価値観から離脱した「強者」だと思うわけ。
しかしここで思考実験として、、
そのオタクが熱を入れているモノがこの世からいまこの瞬間に消え去ったとしよう。そしたら非モテなんか興味ない・関係ない、という健全な精神性は果たして保つことが出来るのかと。
私自身はどうしてもこの問題に対して自信を持って解答することが出来ないんだよね。
なぜなら人は絶対に一人では生きられないから。いまの時代、確かにリアルに友人がいなくてもネットがある。恋愛なんてなくても趣味がある。
ではそれらが全て無くなったら?極論、恋愛以外に何も残されていない世界になってしまったとしたら?
もちろんこんな荒唐無稽な確率ゼロの可能性を言えばキリがないけどさ。しかしやはりオタクというのはそう云った別の手段にたまたま運良くたどり着いた強者であって、自身にいま無関係だからと言って対策を怠ってしまうというのは、私は避けたいんだよね。
世間を席巻している恋愛至上主義。これは私は納得はしかねるんだけど、理解は出来るわけだよ。
例えば男性の場合、「排出欲」って意味では、ぶっちゃけパートナーなんかいなくても十分で、どんなに「内なる衝動」がこみ上げてきても、それはせいぜい二,三十分、「一人で事に及べば」、さくっと「賢者タイム」が訪れて心の平穏を保てるはずw(しかしさらにしばらく経つと、再び衝動、あるいは虚無感にさいなまれるかもしれないがw)
なのに、パートナーを求めるのはなぜなのか。人によっては多額の金銭を費やしてまで。
精神的な繋がりを求めて、、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、そんな抽象的なモノに一体何を期待しているのかと思うとともに、そもそも恋愛に限る必要がないよね。
しかし、それらに何か意味付けを行おうとする人々を私は理解するし、私自身、言葉には上手く表現出来ないが、その「何か」の恩恵を今までの人生で確実に受けてきているから、十分に彼らや彼女たちの気持ちを察することは出来る。
だからこそ、非モテで悩み続ける人へ向けて、私もこう云った無駄な論考をし続けていくんだろうなぁ。