この記事を見たとき、いつか書こう書こうと思っていて、すっかり過去の記事への言及になってしまうどころか、このブログも更新の間があまりにも開きすぎて私の生存確認レベルなのだけど、もーはっきり言ってマフ氏、最・高!w
以前からtwitterなどのSNS上ではお世話になっていて、最近はちょっと私自体が公私多忙でなかなか接点がないのが残念なのだけれど。。
さて、掲題はわりと刺激的でマフ氏のブログ自体も読者層を選ぶ感は決して否めないんだけども、それが狙って施されているのは、ファンの方々ならご存知の通りだと思う。
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以下は下らん独り言になるが、ハンターハンターネタは正直私は世代が微妙でよく分からんのだけどw、というかね、これは別に"明らかに嫌な奴"に対してだけ当てはまることではないんだよね。
それは例えば、友人からであったり親族からであったり、あるいは全くの他人からの親切心や正義心でもいいんだけど、それらが発する好意的な行為が果たして当人には正しく伝わっているのだろうか、ということ。
相手のためを思って、褒める、または逆に怒るということに、ある意味で命を懸けた責任を持たないと、軽々しくそれを行った結果が"殺される"という結末を招くこともあるんだよと。
ま、大抵の"嫌な奴"や"表面的には良い奴"ってのは、相手に向ける好意や敵意に何の考慮も持ち合わせていないし、所謂本能的に自意識をぶつけるだけであって、自己顕示欲や承認欲求の延長線上に過ぎないんだけどね。
私はね、以前にもどこかで言及したけれど、自らに火の粉が降りかかってこない限り、基本的にどんなことにも我関せずの傍観者として今後を生きると誓っているので、対岸で未曾有の大火事が起こっていようともそれを平然と見過ごすようにしている。
けれど、その対岸に自らと志を同じくする、もしくは同じでなくても"命を懸ける"に値する何かあるいは誰かが存在すれば、徹底的に鎮火するだけに留まらず、その火の元を素粒子レベルを通り越すまで完全に粉砕し尽くすと思う。
余計な自分語りで話がとっ散らかって来たが、要はあの記事を目にしたとき「ああ、これだよこれ」と真に感じて、喉のつかえがまさしく取れたかのようだったのは今でも鮮明に覚えている。
ウェブラジオ時代からのリスナー諸氏やブログ読者のファンの皆々が、おそらくネット外ではそれぞれ全く別の生き方をしているのに、マフ氏やN.E.U.T.R.A.Lに共感している部分は、この類の思いを多かれ少なかれ共通で抱いているからなんだろうなぁ、と私は改めて納得した次第。