よつまお

過去ログ倉庫を兼ねたライフログ的な雑記ブログ。記事ジャンルにこだわることなく、不定期更新でゆるゆる運営しています。

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【所感】ネット上のフェミ「的」言論が一体ドコに向かっているのか分からない件

注:以下、フェミ「的な」思想の方々にとっては、何の得も無く、面白くもなんとも無い文字列が延々と続きます。こんなインターネッツの辺境に迷い込んで、個人的感想を見て憤死しないよう、十分ご注意ください。

 

また、一般の皆様にとっても、推敲なんぞしていない作文を斜め読みして時間をドブに捨てるぐらいなら

文字通り近所のドブに足を突っ込んだ方が時間的浪費が無く、その後のシャワータイムのサッパリ感が増すので有意義です。

(※私は、ブログ記事なんぞ思い付くまま文章綴ってサクっと書いて公開して、後で気が向いたときに適宜更新すればいいや的な、ゲームの修正パッチ的な考えです)

 

さて、今までずーっとモヤっと脳内で掲題の思いを抱えていたんだけど、ちょっと今回フェミニズム「的」なモノに対して書こうと思ったのは、下記記事に感化されて。

ちなみに本記事では、上記記事でmioさんが書いているトークイベント等々の件には全く関係なくて、単にネット上におけるフェミニズム「的」なものがテーマ(拝啓mioさま、わざわざ言及してごめんなさいで候)。

 

mioさんが記事中でいわゆる「ツイフェミ」のことを「永遠のイヤイヤ期」と表現していることが、まさしく言い得て妙で個人的にツボってしまってねww

今まで私がモヤっと抱えていた思いが、すごく腑に落ちた感が天元突破。

最近twitterをあんまり覗けてないので、そんな面白い騒動が起きてるなんて全く知らなんだw

 

さてさて、まずはじめに誤解の無いように言っておくと。

本記事は、ネット上における一部の過激かつ偏りがちに見えるフェミ「的」言論、及びそういった活動をするヒトに対する「所感」であって、真っ当なリベラルの方々へのディスりではないので要注意。

だから本記事で多用する「フェミ」「フェミニズム」「フェミニスト」という単語は、適宜脳内で「(ネット上で悪目立ちする)フェミ「的」思想」と置換してクレメンス。

 

もちろん現状、何らかの被害や差別を受けて苦しんでいる女性や、それを打破しようと懸命に活動していらっしゃる方々への非難の意図は毛頭ない。(こんなことをわざわざ付言しなければいけない世の中なんてポイズン)

 

そして当然、単なる私的な感想なので、学術的な意味におけるフェミニズムに関する考察その他アレコレもこの記事の対象外。んなもん他所でやってくれ。

ってことで、万が一そういったものを期待してこのページに迷い込んできたかたは、そっとブラウザバックしてね(はぁと

 

本記事で終始一貫して言いたい結論的なことは、たぶん過激な言動を好むヒトは、当人が思っている以上に過激なので、

それをもう少し大衆向けにクレバーにあえて抑えるか、無理ならクローズドな仲間内の発散の場を作った方がいいんでないの? って話。

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みんな一体なにと戦ってるんだ…!?

そもそもフェミニズム、っていうと世間的には女性の地位向上や、女性蔑視の根絶を目指して、いわゆる「男女平等」を目指した思想みたくクリーンな感覚で語られているイメージがあるんだけれどね。

対してどうもネット上では、例の"安全ピン"とか一部の過激派の声が大きいせいでやけに目に付いてしまうのは、むしろ端的に言えば「いちいち男性は文句言わず女性を優遇しろ」って話なわけよ。いや、だとしてもそれ自体は別にいいのよ。

 

だって現に困っているヒトは大勢いるし、日々精神的な苦痛や肉体的な被害、迫害や差別を受けているヒトだって無数にいる。

弱い立場であるにもかかわらず、むしろ女性が大変なことを押し付けられている部分は沢山あるし、その一方で男性側の多くはそれに無自覚で、無意識的に女性の価値観や生き方そのものを「支配している」面だってあると思う。

 

うん、だからこそ。metooだろうがkutooだろうが、kshotooでも何でもいいけれど、「女性を優遇しろ(女性をもっと特別扱いして、逆に男性を冷遇しろ)」って大いに開き直って言えばいいのにって思うわけよ。

長い人類の歴史上、女性は庇護される一方でずっと虐げられてきたのだから、もっともっと厚遇しろ!となぜ声高にハッキリ言わないのか。

 

例えば私がフェミニストでイメージする人って、昔で言えば田嶋陽子氏がいるけれど、ある意味あの人の清々しいところは、「女性は太古から差別されてきたのだから、今度は男性が差別されろ。細けぇこと言うな、男らしくない(意訳)」ってことを隠さないんだよね。

(昨今は暗にそういったニュアンスを含む言論も、ネット上では散見されるようになってきたけどねw)

 

身体的にも精神的にも男女は別物なのだから(そしてそれによって男女の待遇は区別されて長い年月を重ねてきてしまったのだから)、

それを今更「すぐに」平等にしようと思ったら、まずはシンプルにどちらかを冷遇してどちらかを優遇せざるを得ないんじゃないの?って話。

 

なんかさぁ、フェミ界隈にどことなく感じてしまう「うわぁ……」っていう感情が、今回の記事中では大きなポイントなんだけれど、

表では「平等」と言いながら、裏に本音が透けて見えてしまった時に人は「うわぁ……」って思ったりすると思うんだよ。意図的にやってるわけじゃないかもしれないけどさ。

 

だから「男性優遇社会が続いてきたから、今度は男性を差別したいんです!」とまずはハッキリ言えばいいのに、と。

極論「そうすることによって単に日頃の鬱憤やストレス解消したいんです!」って言ってもいいからさ、たぶん正直に表明することでかえって強く賛同する人いるんでないの?って思うわけ。

現に、田島陽子氏は前述のようなトリッキーなロジックを使っていても、TV見る主婦層に人気があったわけだしさ(適当w

差別はぜったい反対、断固撲滅すべきだー(棒

勿論分かりやすいヘイトスピーチとかは御法度ではあるんだけれどね、クローズドに見える環境であればあるほど、ヒトってホンネが出やすいよね。

するとヒトによっては時に、ポロッと男女差別「的」な物言いをしちゃったりすることもあるわけだ。(多くの場合、それは女性蔑視的な思想であったり、いわゆるセクハラ的な言論)

 

んで、ネット上のフェミが偶然そういったモノを発見すると、どこからともなく皆が集まってきて、寄ってたかって叩く(以下ループっていう流れはどうにならないのかね?

っていうか例えばそこら辺の特定個人を潰したところで、別に差別自体は減らんわけよ。

 

こう言っちゃ元も子もないんだけれど、おそらく差別って無くならないのよ。ヒトがヒトである限り。きっといじめも戦争も無くならない。

男女差別も女性蔑視も、ぶっちゃけ男性が滅ばなきゃ多かれ少なかれ世界のどこかに残り続けるんじゃないかな。

率先して意識的に蔑視や暴力を実践しようとする奴はハッキリ言って頭がどうかしてるわけだけど、厳密な意味で「根絶」ってきっと不可能に近いと思う。

でもフェミニズムのヒトって、いつの日か本当に女性の諸権利が「完全な形で(望む形で)」保証され、男女差別が無くなるって思って戦ってるのかなぁ?(たぶんフェミ的な人は男性が滅べばいいとすら思ってるだろうけどw)

 

いや、その大いなる理想自体は否定しないよ。弱者救済的な活動は、この世に弱者と呼ばれるヒト(自己がそう感じている人を含む)がいる限り、決して無くなってはならないと思う。

でもよくそんなにも日々現実(男性&男性社会)に絶望感を抱きながらも、そこまで「あるべき姿のキレイなセカイ」を夢見ることが出来るなぁって。私だったらサクッと心が折れて諦めてしまうだろうに。

差別を無くすってことはさ、端的に言えばヒトが悪いこと(悪いと大多数が同意すること)をしないってことよ。つまりさ、想像力を無限に働かせて、万が一でも誰かに迷惑とか危害とか加えたりしないヒトになるってことよ。

 

もうそれ、なんて聖人君子?ってレベル。

でも男女平等、フェミニズムの名のもとに、例えば皆で寄ってたかって誰かを叩くってのは、それは果たして正義なのかなぁ?集団で危害を加えていることにはならないのかなぁ?制裁だから許されるというロジック?うーん。

 

仮に誰かが公私共にヘイトを日常的にまき散らしているなら兎も角、一時的な気の迷いや言葉のすれ違いかもしれない140文字(twitter上ならね)を吐いた特定個人を叩いたところで、別に自分の待遇は何ら改善しないと思うわけよ。

(もしかしたら率先して叩く姿勢を見せた方が、フェミ集団におけるヒエラルキーは上がるのかもしれないけどw)

 

男女共が同時にやめなければ終わらない論争。麻薬とか売買春とかも仕組みは同じ。どっちかを先に、って話では多分無理な構造。

(というかそういった分かりやすい「悪」というものを根絶しようと思えば思うほど、闇に隠れていって目に見えなくなるだけで、むしろ「コントロール」していく方がいいと思うんだけどね)

まぁフェミ的には、まず絶対的加害者である男性側がそういった女性への言動を一切やめれば済むだろ!と思うかもだけど、そんなんが簡単に出来たら、今頃この世の差別も犯罪も一掃されてると思うよ。

 

ちょっと話を脱線するとさ、真夏にエアコンを全家庭がせーの!っで止めれば、排熱が無くなって確実に外気温が涼しくなると私的に思ってるんだけれど、

そんなん法律で罰則付きで明記でもされなきゃ誰もやる気ないでしょ?外が涼しくなる、っていうメリットがあるのに。

つまりヒトは、自分一人が損にはなりたくない(他方で誰かが得するのが許せない)って生き物なわけよ。

 

さらにヒトってものは、大衆になればなるほど、そして匿名であれば余計に制御が効かないモノなのは想像に難くないはず。

そりゃ調子に乗って他人に暴言の一回や二回吐いた覚えがある人は、少なくないんじゃないかね? (ネット上なら尚更)。でもどんなにその場の勢いだろうが、若気の至りだろうが、それって言葉の暴力だし犯罪なんだよねw

でも頭に血が上っている最中は、法律上リスクがある行為だなんて、ほとんど思いもしないで無意識にヒトは行動している。誰かが訴えれば、最悪前科者にすらなり得るのに。

 

そう、無意識な法律違反と言えば、例えば徒歩や自転車で赤信号を一度も無視したことすら無い、聖人は一体この世のどこにいるんだろうね?(生まれながらの高貴なお方たちは除く)
差別や暴力は=悪、だから良くない、と正論を掲げている人であったとしても、今までの人生で一回も、どんな些細な悪いこともしたことが無い人はいないと思うわけよ。

むしろ悪いことであったとしても、本人にとっては正義であるという認識であるために、気づかないことだって日常多々あると思うんだよ。


つまり何が言いたいかというと、ヒトはそもそも間違うし、知らないことは矯正のしようもなく、善悪を学ばなければその区別さえできず、

そして成長と共に適切に培ったはずの倫理観や正義感でさえ、大衆の中に入れば(匿名でバレないと思えば)もろくも崩れ去るものだということ。

人間なんてそんなもん。期待する方が間違っているとすら思うレベル。

だからネットの電子の海の隅っこに「悪の根」を見つけたからと言って、そんな小さなモノに神経質になってもしょうがないんじゃないかなぁと。

フェミ「的」な人の防御力がペラすぎる件

そもそも防御力って表現が適切か分からないけれど、RPGのステータス的に言えば、状態異常に対する耐性(あるいは回避力)って感じかなぁ。

 

これはなんとなーく感じている印象で、全員がとは言わないけれど、ネット上のフェミっておそらく人より感受性が高い人が多くて、悪く言えば打たれ弱く、良く言えば繊細ってイメージ。

だから別の人から見れば小さなことであっても、その人にとってはすごく「グサッ」て来てるんだろうなぁって。


まぁ別にこれは特に不思議な話でもなくて、例えば針が指に刺さっただけで大騒ぎする人もいれば、何のこれしきと思う人もいる。

逆に快楽を覚える人だってごく一部いるだろうし、むしろ刺さったことすら気づかない人だっていると思うわけ。

身体的な痛覚でさえ個人差があるのだから、精神的なココロの悩みや痛みなどはまさしく千差万別なはず。

 

そう、だからこそ、の話なんだけれど。

自らの「フェミ」的な言論や思想が、他人あるいは特定個人に上手く理解されないからと言って、そういった人の姿勢を非難してもおそらく意味がないと思うんだよね。

自らの正義や正論が、すなわち必ず他者に受け入れられるというのはハッキリ言って幻想に近い。だって多分そういった人とは抱えている痛みは違うし、置かれている境遇もきっと違うから。

それを分からせるためには、それこそ法律や刑罰で対処するか、または先述のように皆で叩いて制裁を受けさせる(苦しみを疑似的に味あわせる私刑)ってことしかできない。前者は兎も角、なんか後者のやり方って不毛なんだよね。

 

別にネットに住むフェミはココロが強くないからいけないとか、強くないから悪いとか劣っているとかいう話ではなくて、単に世の中には色んな人がいるということ。


他方で、確かにそういった防御力や耐久力が少ない人も無視するべきではないはずで、そういった人を守れる平等な社会を作るという観点からすれば、フェミ的な立場の人は必要な側面はあると思うわけよ。

不平等って、ホントに全否定するモノなのか?

んでだ、平等ではないってことは差別でありつつも、その反面、全部が全部「悪」であるとも言い切れないんじゃないかなぁって話。

 

これはネット上でよくある「ベーシックインカム」の話にも共通項があるんだけれどね。

既得権益をぶっ壊し、何かを「均等」あるいは「一定」にすれば、それがすなわち「平等」になるだろうという「幻想」があるっぽいんだよね。(ちなみに私的にはBIには"あえて"賛成的立場)

 

なんかフェミでもその平等ってものを勘違いしがちな節があって、既存の構造をリセットしたり壊してしまうことの最も怖い部分は、それは今まで守られていたモノさえ無くなる完全な競争と隣合わせだということ。

(そこまで取っ払う「平等」は想定していない!ってことだとすると、それは普通に「優遇」と呼んでいいはずだよね)

 

ゲームで言えばさ、取り返しがつかない事象によって負けが確定(いわゆる"詰んだ"状態)になっちゃったときはリセットしちゃえばいいわけよ。

時間はかかるかもしれないけれど、また一から始めて取りこぼしなく進めて、今度は勝てばいいだけの話。

 

でも現実はそうはいかないよね。そもそもリセットで皆が横一線になると、せーの!っで競争が始まるわけで、

すると誰もが主人公側あるいは勇者ご一行の末端になれるかというとそうでもなく、モブキャラの村人どころか、踏みつぶされるだけのスライムになることだってあり得る。


既存の仕組みを真っ向から否定するってのは、特定の状況下においてはリスキーなことだってあるわけよ。自分の立場におけるデメリットだけではなく、メリット(を受けている誰か)を含めて、考えてみる余地だってある。

もし運悪くスライムになった自分が果たして勝ち抜けるのか、負けてしまったら今度も誰かが助けてくれるのか、またはスライムである自分の手で再度リセットを起こすことができるか、は別問題。

さらに最も警戒すべきは、フェミ運動の裏で糸を引いて「ゲームそのものを作りたもうた神の視点」を持つ一部のリーダー格の人間だけが、結局得をするオチになったりとかねw

リアルへの憎悪と不満度がなんかゴイスー

多分真面目に思想的な勉強をしてリベラルになったかたを除いて、何らかの「不満」あるいは「被害」がスタートでフェミに傾倒してしまった人は、終わりが無い気がするんだよ。何かが解消されても、どんどん要求が大きくなっていくっていうかさ。

 

リアル社会なんて、厳しいことや不満なことがゴロゴロありつつ、虐げられているように感じても、一方でいまの立場だからこそ優遇され、気づかない部分で幸せなこともあったりもするわけ。


別に既存で満足しろ!妥協しろ!我慢しろ!とは決して言わないけれど、バランスを取りながら多数が、ひいては万人が満足する社会構造を作ることが途方もなく困難な道程なのは、想像に難くないよね。

一方でどんどん価値観の多様性は、ネット(SNS)というツールの存在によって顕在化(可視化)していくわけよ。

 

今までは抑圧(我慢)によって事なきを得ていた(ように見えていた)ものが、ネットという局地で同じ境遇の仲間や同志を得た人々は、心強さによって声を大きくして社会に働きかけていく。

そんな皆の声が満たされるためには一切余裕も無いし、立ち止まることは出来ないわけだね。ってことでこんなめんどくさい社会を一応なんとかやりくりしてる官僚や政治家たちってある意味ですげーよw


それをいちいち各方面の調整がめんどくせぇ!って言って、性急に安易な制度を作りをしまってはどこかでほころびや矛盾が生じるし、

先述のようにリセットしてガラガラポンしてしまったら改善されるかというとそうとも限らないし、かえって悲惨な状況にすらなり得るわけ。

この、何かを改善すればどこかから不満が生まれる、その意見を汲むと今度は別の方面から声が上がる、するとまた(ry っていう流れを、万人が幸せになるためにはずーっと繰り返していく必要があるんだよね。

 

逆に、何か抜本解決を想起させるような革新的なことを言うヒトって、確かに進歩的でカッコよく見えるんだけれど、注意しなければならないことは、

それが仮に上手くいかなかったとき、現状維持さえ出来なくてむしろ落ちぶれる人が出てきてしまうとき、どういったことが起きて誰がどうやって責任を取れるのか、

それを明確に言いたがらないんだよね。(そのヒトの中では成功確率100%で幸福実現指数MAXだからなのかもしれないけれどw)

不満に由来するエネルギーの使いどころ問題

そもそも、世の中に不満があるのは当然な話でさ。

ここで関係があるような無いような話題に大きく脱線すると、例えば私なんかは「傘」っていうアイテムに対して、それはもうすさまじく不満なわけよ。

雨自体は嫌いじゃないどころか、むしろ好きなんだよ。けれど傘はどうにかならないものかと。どうあがいても絶望っていうか、確実に濡れるよねっていう。

あの太古から変わらないディティールのデバイスが、どうしてこんなにも科学が発達した現代にもなって、完全に濡れないように進化&普及してないの?って思うレベル。(もちろん企業努力によって、常に新商品は世に送り出されているけどね)

 

言葉で伝えきれないほど、私はぜんっぜん傘に満足していないんだけれど、他方でそれで十分と感じる人もいるし、そもそも傘ってそういうもんやん?って納得して何も思わない人もいるわけでしょう?

 

もし仮に今の傘に不満な人がどこかにいたとしても、こんな長期デフレ放置の体たらくの国で公私で問題山積みだと、

自分の生活のことが精一杯で頭にアイデアなんて生まれにくいし、企業としてもコスト的、技術的にすぐに改善するのは難しいこともあるわけだ。

(だからむしろ経済問題が解決(安定化)することが、テクノロジー進化を促進するはずで、果ては差別や犯罪をのさばらせない大衆のリテラシー向上要因にもなり得ると思う)

 

あとは長年の不満と言えば傘だけじゃなく、コーヒーフレッシュとかガムシロを開けたときに高確率で指に付く、あれらの蓋の構造的欠陥とかも(ry

ってことできっと私が傘に抱くこの不満の話と、ネットのフェミの話って根底は似てる気がするんだよね。(たぶん違うw


結局のところ、そんなもんだよな、と思って我慢する人が多くいる一方で、

いやもっとこうすればいいんだ!という不満を抱えた一部の人(そしてその改善能力がある人)によって、社会は常に前に進んでいくのだろうなーと。

お尻のことを考え抜いた人々によって、私もウォシュレットで助かってます、ハイw

まぁかと言って、そういった選ばれし社会の変革者に自分がなれるかというとそれは全くの別問題。


一般ピープルの力なんて大したことはなくてさ、極論言えば、一部のエリートや大天才が世の中を動かしているのであって、そういった人々がすくすくと育っていける土壌があることが大事なんだよね。

とはいえ、単なる人任せになりがちな救世主or英雄待望論には距離を置かなければいけないけれど、優秀な人材が出てくるためには母集団が多いほど、切磋琢磨によって成功確率が上がるよね。

 

この文脈においてはまさしく、男女共に差別無く平等で、機会が均等になることには大いに万人にとって意味があるわけだ。

ところが「うわぁ……」って思わせると台無し

ところがどっこいしょ、と。せっかく輝かしい未来のための崇高な理想があるにもかかわらず、

ネット特有の過激なフェミニズムをやってるヒトって、そんなこと言ったら一般ピープルが「うわぁ……」って思っちゃうよ?ってことがなぜ分からないんだろうねw

 

はっきり言って、男女限らず、大衆にそう感じさせてしまったら、むしろ運動や活動としては戦略的に大失敗なんだよ。

過激なものに反応して寄りつく輩なんてのは一部(最初)だけで、多数派になんてまずなり得ない。

 

例えば、どんなに正論を言ってそれを有言実行する、いわゆる政治力のある政治家であったとしても、ひとたび大衆に「うわぁ……」と感じさせる失言やスキャンダルに陥ると、復権はなかなか難しいよね。

政治家であったとしたら過敏に反応されてしまうことなのに、なぜ一個人であればどんな過激であっても正論なら成功すると思えるのか、本当に不思議なんだよ。

 

歯に衣着せぬ言論が心地よく人気な風潮だけれど、それはむしろ政治家というある意味で特殊な職業であるからこそ致命傷にならずに済むケースがあったりするわけで、安易に一個人が真似すべきじゃないと思うんだよね。

もしやり過ぎてバッシングを浴びたときに、それらから守ってくれる自らの「ファン」は政治家や芸能人のような玄人と比べて、どれだけいるのかと。切り捨てられないように自重すべき部分だってあると思うわけよ。

 

そもそも差別や人権問題、そして政治の話などは、非常に残念なことだけれど、大衆が積極的に興味があるものではないわけ。

もっと言えば、むしろ自らに関係のない事柄であればあるほど、そういう言論活動をしているというだけで、人々に「うわぁ……」と感じさせてしまったりするジャンル。

 

これがこの国の特有なものなのか分からないけれど、端的に言って、もし老若男女の世界中の全員がそんなものに強く関心があったとしたら、それはそれで気持ちが悪い状態なので、いまの状況もある意味で自然な姿なのかなーとも思うけどね。


他方で、確かにあまりにも日常会話では忌避されがち(退屈と思われがち)な話題であることは確かで、まるでタブーのような扱い(語る人そのものが異常かのよう)になってしまうとしたらちょっと行き過ぎではある。

だからむしろサブカル的な、ファッション的な軽い接し方でも構わないから、もう少し身近な感じで人と話せるジャンルになればいいのになぁ、とは思ったりするよ。

てことで戦略が激しく間違ってるんじゃね?

だからさ、例えばネットフェミが1000人の集団がいるとしたら、その中の一人くらいは超絶優秀で適性があり、機会にも恵まれた人はいるはずで、

そういった中の誰かが政治家にでもなって皆で応援した方が余程建設的だと思うし、ネットなんかより広くリアルに不平等や被害の現状を知らせることができて、大衆社会を変革する強い力になるだろうに、一体なぜそれをしないんだろうね。

(もし、そういう活動なんぞ言われなくても既にやってるわい!ってヒトいたらゴメンねw)

 

過激なデモや、ネット上で攻撃的な言論を展開するよりも、選挙に行ったり、地元の政治家に駆け込んで思いを訴えた方がおそらく話は早いし、力も強いんだよね。

それを目立ってメインでやらないってのは、弱者であるという変なプライドがあるゆえに、誰かが率先して行動して自分たちを助けるべき(あえて悪く言えば他人任せ)という発想なのか、

あるいは地味や地道ってことを忌避しがちな昨今の価値観ゆえなのか、はたまたやはり単に日頃の抑圧や不満からくるストレス解消的な意味合いが強かったりするのか。

一見、統率(統一)されたかのように見えるネット上の特定集団は、当たり前だけど決して一枚岩ではないはずで、真面目&不真面目含め、きっと色んな考えの人がいるんだろうなと思うよ。


これをワイドショーのコメンテーター的な感覚で表現すると、大衆の政治への無関心や諦め、そして現実の政治の不甲斐なさとかが原因にあるのかもしれないけれど、

そんなことを言っても社会のほとんどが政治で決められているのだから、正攻法で挑むべきなのに、なぜ奇策に走るのか

この部分が本当に不思議でしょうがなくて、根拠なくそれが近道or先進的と思ってるのかもしれないし、やはり単に楽しいからなのかもしれないなーっていう印象を覚えちゃう。

 

ネットが正義!ネットが真理!ネットが強い!ネットで社会を動かす!とか思うのかもしれないけれど、ネットがいかにリアルに比べて無力か、っていうのは(情報伝達の速さと簡易さと引き換えに、理性や正確性を放棄しがちなのかは)、

ネットでは多数に「見える」リベラルチックな過激な左派が、現実の政党で与党となっているか?を見てみれば一目瞭然なんだけどねw

 

もっと言えば、支持母体が強力な公明党でさえ単独で総理大臣一人輩出できない、熱狂的な支持層のいる共産党でさえ野党第一党にすらなれていない。

どちらも歴史は長く、昨今では当然ネット活動を取り入れて、支持者各自があらゆる手法を使ってきているのに、だよ。その他大勢の、特定思想に凝り固まらないリアルの大衆世論がいかに強いかという話。

だから単にネットの一部で盛り上がった(ように見える)から世の中を動かせる、なんてまだまだ幻想で、もう少し身の程をわきまえた方がいいと思うんだよ。

 

まぁとはいえ、逆に長らく膠着的な世の中だからこそ、センセーショナルな手法でバズらせて、ネットメディアを通して世間の注目を浴びることで、議論のきっかけ作りにはなり得るかもしれないけどね。

どうしたら心地良いセカイに変えられるのか

いや、まじでリアルを変えるって難しいと思うわけよ。

そりゃネットの影響を受けて現実の制度が変わった!ってことも、昨今は枚挙に暇がないけれど、その陰で脚光を浴びずに埋もれていった(捨て去られた)膨大な意見があるはずなわけよ。

 

んで、そんな忘れ去られて消えていった思いをくまなくすくい上げるシステムってのは、今のところ既存の政治には無いところだよね。

じゃあどうすればいいのか?その答えは、古から言われる通り、周りを変えるのが難しければ自らを変えるしかないということ。

これは思想や考え方自体を変えろってことではなくてね、端的に言えば、二通りの方法があると思うんだよ。

 

まず一つ。それは、程々にね、いい塩梅にね、というスタンスを醸し出して、能ある鷹は爪を隠しながら、狡猾に大衆世論を少しずつ自らの思想に誘導していくという手法。

頭のいい政治家は、ある意味で大衆を騙すのが上手いのよ。つまり過激なことをやったり極端なこと言ったりするのは、ヒトが離れるからやめようね、っていう話。地道に一歩一歩。


とはいえ、そんな余裕も時間も無い!いますぐ改善されなきゃ苦しむ!タヒぬ!っていう人にとっては、二つ目。

単に自らが心地よく過ごせる(嫌なモノと接しなくて済む)居場所を作れば良いということ。社会全体や大衆世論に変革を求めるのではなく、自分の身の回りや、最低でも近しい人たちさえ満たされていればいいじゃんという話。

 

これは冒頭で紹介したmioさんが目標にしていらっしゃる部分にも近いことで、mioさんも日々実現に向けて広く注力していて、クラウドファンディングを計画なさったりしているね。

camp-fire.jp

いずれ本来はネットおよびSNSの存在がその役割を担っていくべきだと思うんだけれど、やっぱりまだ時代というかテクノロジーが追いついていないし、他方でリアルの繋りもヒトは捨てられないと思うわけよ。

っていうかフェミのヒトもこういった活動こそもっと積極的に行ったらいいんじゃないかなーと。多分この方向性が自身にとっても、そして自分と関係のある多くの人にとっても、わりと早めに救いになることだと思うんだよ。

(そういう活動なんぞ言われなくても既にやってるわい!ってヒトいたらゴメンねw ※2回目)

 

かといってその半ば、もし自らのコミュニティの理想がいかに正しく崇高に見えたとしても、社会全体においても即時成し遂げようとしてしまったりすると、手法によってはそれはもはや革命と何ら変わらないので注意が必要だよね。

一部の過激フェミは、まさにイマココって感じがするけれどw

 

というか「正しさ」ってさ、そんなに意識的に進んでいかないと実現できないモノなのかなぁとぼんやり考えてみたり。

(フェミ的には「権利の獲得を目指している」ってスタンスだとしても、ってことは他人や多数にそれは「正しい」と思わせる説得的根拠があるからこそ、権利が保障されるわけだよね。だから「権利」は「正論」と不可分の話だと思うわけ)

 

もしネットフェミの言論がまさしく人類が希求すべき正論だとするならば、そのうち正しさに大衆が気づき、彼女(彼ら)に対する需要が多くなってくるはずだし、

たとえ最初は小規模なコミュニティであっても、いずれ多数派になってリアルに派生し、

その時こそフェミの「思い描く」男女平等がまさに強固に推進されるタイミングなはずなんだよ。

(逆にいつまでも自らが受け入れられず、状況が変わらないとすれば、どこかに間違いや瑕疵がある可能性があるということ。ネット上の大衆のノイズによって、その点の自己評価やチェックがしづらい状況があるけどね)


結局のところ、そういった長期スパンでの戦略・戦術が必要になってくるってことなんだけれど、たぶん当事者の人たちって待てないっていうか、悪く言えばせっかちなんだよねw

勿論それだけ追い詰められて悩んで、絶望的な窮地に陥ってるってことだろうけれど、

一方であまりにも手法がセンセーショナルだと「ほら、早くしないと私がどうにかなっちゃうでしょ!」と思わせるための作戦的な側面もあるのかなーって、うがった見方をしちゃう。

 

まぁ致命的状況だったら尚更、社会全体を性急に自らが抱く理想に導こうとするよりは、まずは自分の半径1メートルから確実に救っていく方が、本来は成功確率とか優先順位が高いと思うんだけどね。


もしフェミが何の利害も見返りもなく無償で、半径1メートルじゃ満足できない!社会全体を正しい方向へ!って邁進できる人なんだとしたら、それは素直にすごいと思うわけよ。

極論言えばさ、自分や知り合いのみなら100年以下、子供がいたとしたら孫程度までの長くて200年が安泰な世の中ならそれでいいはずで、ぶっちゃけあとは知ったこっちゃないって考えの人多いんじゃないかなぁ。(私はどちらかというとこちら派w)


もっと言えば、自分の健康寿命、せいぜい60~70年のみが満足いけばいいわけで、だったら社会全体をどうこうしようってよりも、自分のコミュニティを作ってor見つけて好きに生きた方が気楽じゃね?って話になるよね。


でもフェミはそういう自己中心じゃなく、もし真に困っている皆を救いたい!っていう思いを抱えて、たまたまネット上で同じような境遇・思想を持つ人々と貴重な接点を持てたのだとしたら、

他者に必要以上に攻撃的だったり、過激な言動に身を染めるのではなくて、かけがえのない同志が、少なくとも同じコミュニティ内でより心地よく暮らせるにはどうしたらいいのか?

そしてそういったコミュニティ作りをどう行っていくか?っていうスタンスの方に、活動の工数を割いていけばいいのになーと思うわけよ。

 

多分マジで最初から過激に傾倒しちゃった人は、そういうの通り越して「人類全体における根本解決(男性が究極悪&男性社会が絶対悪)」という今の結論に至っている節があるので、後戻りできない感がすごいけどねw

まぁとりあえず社会に何らかの意見や不満を抱えているヒト全員に確実に言えることは、もっと地元の政治家に要望伝えに行ったり、選挙応援頑張ったり、投票行ってみ?ってことだよね。

 

それこそネット上の沢山の仲間たちと協力してさ。(でもそういったネット仲間たちの居住選挙区は当然分断されているだろうから、地方議員一人当選させるのも結構大変だろうけどね)

いずれにしろ、普段ならバカらしくてやりたくないようなことでも、もしかするとそういった既存の過激志向とは違った方向性で尽力することで、案外満たされることってあるんじゃないかなーと思うわけよ。