よつまお

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日本ではブロークンウィンドウ理論じゃなくてストールンアンブレラ理論が最適だと思うんだ。

俗にいう割れ窓理論。ぶっちゃけ割れた窓が放置されているような街並みってのは、普通に暮らしている限りは、この国ではなかなか見かけたことがないのは私だけじゃないはず。

 

その一方、自分の傘を盗まれたことがある人はどのくらいいるんだろうか?店先の傘立てに置いておいたもの、自転車に付けて置いたもの。それこそ学生時代どころか、小中学校程度の狭い範囲でも誰かに持っていかれてしまった、という経験がある人は多いんじゃなかろうか。

 

私は今日盗られちまったよ。いつもと同じ街の同じ駐輪場で。毎回毎回。一体なんなんだろうね、おそらく罪悪感の無いであろう輩のこの所業は。いや、私のほうも別に傘にまで施錠するわけじゃないし、盗られてもいいような古びたビニ傘なわけだけどさ。

 

この放置しておくのが悪い的な風潮はなんなんだろうね。繰り返し盗られたところで、こっちは同じように万が一使うときを考えて常に自転車に設置しておくだけの話なんだよ。追求してるのは単に利便性なわけよ。それをなんでこっちが防犯的に気をつけなきゃならんのか。

 

というかさ、傘ってのは少なくともこの日本じゃ結構必須なアイテムなわけよ。たかだかちょっとの小雨ならレインコートでおkみたいな文化じゃないわけ。誰かの傘を持ってくってことは、それを使うはずだった誰かが仮にずぶ濡れになろうが知ったこっちゃないっていう強烈な悪意がそこには存在するってこと。

 

もっと言うと、見通し良い駐輪場よ?誰かにその現場を見られる、あるいは本人が来るかもっていう危機感はまるでないわけ?さらに言えば時間制でお金かかるところよ?そんなところにおそらく当人も駐輪しているわけだけど、駐輪場には数百円払うのは良くて、自分が使う傘にはお金出したくないと?

 

どんだけ身近に24時間スーパーやコンビニがあるのよ?雨に濡れるのが嫌なら、いくらでも傘なんて安く売ってるわけよ。盗むんじゃなくて、買うって発想がなぜないわけ?

 

これはあくまで予想なんだけど、傘を盗んでいくような輩ってのは、実は若者とか所謂DQNという人種は意外に少なくて、ごく普通の大人とかの方が実は多いんじゃねーの?って思ってる。少なくともこの街では。

 

私の若かりし頃を思い起こせば、わざわざ雨だからって傘盗ってまで差すなんて"だせーこと"だったわけ。盗るくらいなら、否むしろ自分のを持っていたとしても、"あえて差さない"。なんだったらずぶ濡れになるくらいで構わんっていう美学があったわけよ。ところが加齢とともに段々雨に濡れたくねーなって思うようになっていくわけじゃん?

 

街の雰囲気ってのは主にそこに住んでいる、あるいは利用している大人たちが決定付けていくもの。傘をどれだけ盗られるか、あるいはどれだけそれを許さないか、ということが街の治安というものに密接に繋がっていくと思うんだよね。

これをストールンアンブレラ理論と定義します。その観点において、少なくともこの街は劣悪な環境だといえるだろうね。

 

ちなみにこの街じゃなく、私の地元だと傘を盗られる状況に陥ったことは劇的に少ない。同じように私は自転車にそのまま傘を設置しているのだが。ということは、この街よりは私の地元のほうが治安が良い、といえるのか。

 

しかしだ、その代わりに非常に残念なことに、自転車の前カゴにゴミを入れていく輩が度々いらっしゃる。というかさ、一体なんなんだろうね、おそらく罪悪感の無い(ry

いや、人のカゴに入れるくらいなら、そのまま道端に捨てろよ、と。そのくらいの度胸を見せろよと。なんなのその中途半端なリスク回避は。

 

もーこの場合は、なんていうんだ?カゴゴミ理論?とりあえずどいつもこいつもタヒねばいいと思うよ。人類が早く、いち早く滅びますように。