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Self Review
ネット文芸コンペテーマ。エッセイ文体。
以前にも同様のコンペに出展している。
締め切り間際ということで、かなりタイトなスケジュールでまとめたもの。
テーマ的にはそれなりに書きやすく、特に詰まることなく脱稿することができた。
とはいえ結果的には私の過去作品から主題を借りつつ、若干のリライト要素も兼ねたものである。
主張自体は変えていないのだが、その分あまり目新しさのないものとなってしまった。
今後として、あえて私が取り得ることがない主張で書くという実験的スタンスが必要だろう。
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あの日夢見た平和の記憶と幸せと
いつの頃からだろうか。私は夢を見ていた。
大人になったら父のように仕事を極め、母が作るような温かな家庭を持ち、ごく普通に暮らし、平穏に幸せに毎日を過ごしてゆく。
幼い私が憧れるにしては本当に些細過ぎて、巷にありふれている夢で。
しかし、いつの頃からだろうか。そんなどこにでもあるように見えた光景が、実は果てしなく遠い夢で、そして途方もなく高い壁であるということに気付かされる。
人はその時代ごとに、幸せや平和の定義を変えてゆくもの。
私がまだ物心もつかない頃は、いかに人よりお金や物を持ち、より高い地位や名誉を手に入れるかが主流であったように思う。
戦争や争いなどはどこか遠くで起こっていることで、テレビに映る惨状はただの映画と何ら変わらず、この日本はおろか、自分自身には何の関係もないことだった。
だが、私が大人の階段を登って行くごとに、その時どこにでもあったはずの平和はただの幻であり、そこにあるべき幸せがどれほど尊いものなのかということを実感していく。
今の世界を、日本を、社会を、私の周りを見渡してみよう。
私が幼い頃からずっと探していた、あの平和の象徴は一体どこにあるのだろうか。
皆、周囲が物に溢れながらもそれを手に入れることが叶わず、もしそれを手中に収めたとしてもどこか虚しさを感じている。
いつ訪れるのかもわからない戦争や政変に無意識的に怯え、将来に希望を持つことを諦めてしまっている。
今この現実が、この瞬間こそが平和で幸せであればいいという刹那に賭けているのだ。
平和と対なすこの言い表し難い不幸の正体は何なのだろう。
確かにこの日本ほど幸せで平和な国は、この地球上のどこにも無いのかもしれない。
どんな物でも食べられ、買うことができ、手に入れることの出来る環境があるこの国はとても幸せな場所なのかもしれない。
しかしなぜ私達はこんなにも満たされないのだろう。実に贅沢な悩み。
私は単にあの日夢見た〝普通〟を探しているに過ぎないのに。
そう、私は今も夢に魅せられているのだ。きっと私達は誰しも何らかの夢を、どこかで誰かから魅せられて育った。
その心の原風景を叶えることこそが、人それぞれの幸せであり、平和の実現なのだ。
平和は皆の手の中だけに確かに握られている。そしてそれを解き放ち、幸せと手を繋ぐことが出来るのもまた私達だけだろう。
魅せられるだけではなく、誰もが叶えられる、そしてまた誰かに夢を見せていく。そんな社会に、国にするためには私達からまず変わらなければならないのかもしれない。