難産ではあったが比較的キレイな文章だと思っている。
若者誰しもが抱える心情を、私の実体験を交えて語ることが出来たのではないか。
セルフレビュー
私の人生において、分岐点になったであろう思い出深い出来事だ。
当時起きたことでまだまだ書き足りないことが山ほどあるな、と再認識させてくれる作品。
ありがとうは胸の中
昔から私は教師というものをそれほど信頼していない。もしかしたら今まで出会ってきた教師たちが皆、いわゆる“はずれ”ばかりだったせいなのかもしれない。
反骨精神の強かった高校時代。当時、世間では音楽ブームでミュージシャンの人気が月毎に入れ替わり、テレビの音楽番組の視聴率が軒並み高い頃の話だ。
それに影響され、私も高校に入ってからバンド活動を始める。髪を染め、メイクを施し、仲間とライブに明け暮れる日々。
しかし、学校は当然それを許さない。今考えれば当たり前だ。学生は勉強することが仕事だし、校則は守らなくてはいけない。
毎日風当たりの強い教師たちの言動の数々に触れ、私はやがて学校に行かなくなる。
勉強はきちんとこなし、テストで赤点だって取ったことが無い。なのに、なぜその他大勢とのちょっとした生活態度の違いで、まるで自分の個性を全否定されたような気分にならなければいけないのか。
学校を休んで一週間。担任でもないのに私のことが気になった、とある教師が訪ねてくることになった。
関西出身の歯切れのいい口調。四十歳を超えても教師の夢を諦めきれず、音大を卒業し、音楽教師になった変わった人だ。
何気ない会話を交わしつつ、他の教師が誰一人向けてくれない笑顔を私に見せてくれる。そのときの私は学校を辞めることさえ考えていた。学校というもの全てが面倒な存在に思えたのだ。
私の気持ちを一通り聞き、そこで先生は一言だけ言い残し帰って行く。
「世の中、惰性で過ごす時も必要なんだよ」
その言葉は、私の心に深く突き刺さる。なぜこの人の言葉はこんなにも重く、こんなにも優しく響くのだろう。教師になるには遅い年齢。この人自身がたくさんの回り道をしつつも様々な経験を経て、獲得してきた力によるものなのかもしれない。
次の日から私はまた高校へ通い始めた。きっと学校生活に意味なんて無い。ただ何となく今まで通っていたから通うだけだ。
その日から私は、周りに流されず自分のペースで急がずに時間を楽しむことを覚えた。そう、生き急いで近道ばかりを通る必要なんて人生にはないのだ。このころ形成されたであろう頑固でマイペースな性格は、今でも全く変わらない。
学校の廊下で音楽教師とすれ違う。無愛想な私は当然挨拶などしない。しかし、そんないつも通りの私を見て、先生は微笑みながら無言で通り過ぎていった。
あの時言い忘れたありがとうを言える時は来るだろうか。きっとその時はまたいつもの笑顔を私に向けてくれることだろう。