つい先日SNS上で、「なぜ『平成天皇』と呼んではいけないのか?」的なことを見たんだけど、それに端を発してなんだかモヤっとした気分になったので書いてみる。
まぁこの話題に限らず、どうしても今の「皇室」の問題においては、いわゆる「お世継ぎ」のことって切っても切れなくて、
依然として危機的状況にも関わらず「別に無くなってもいいじゃん」勢がいるってのは、ちょっと微妙な気持ちになるなぁと。
- まずは「おくり名」のこと
- というか一旦、日教組教育は忘れようぜ?
- リベラルちっくな人が良く使う天皇「制」
- 確かにある皇室プライバシーの問題
- 少なくとも政治的な権威ではありえない
- そもそも「人間宣言」って?
- 日本において「神サマ」ってなに?
- 伝統や慣習を大切にする分野
- 女系はなんでダメだと思うのか?
- 最も理解しがたいのは「いま」言う女系論
まずは「おくり名」のこと
少なくとも現時点で、『平成天皇or上皇』はダメなのよ。(例とはいえ、二度も書いてしまったので不敬だw)
いや、もうこのいわゆる「諡号」だからダメなものはダメだ、で終了なんだけどねぇ。
それを学校で習ってないから知らないとか、宮内庁が公式声明出してないのがいけないとか、陛下が気分を害されるかどうか次第とか、まぁ色々言う人いるわけだけど。
逆にそういう人は学校で習ったことは完璧にこなしてるんかと、宮内庁の言論なら絶対従ってくれるんかと、陛下が「う○ち」と呼んで良いと言えば「う○ち」と呼ぶんかと。
崩御を伴わない改元っていう、それはそれは近代ではめでたいことだからこそ余計に皆の注目を浴びたし、
あわせて「令和」という元号の存在も騒がれたんだろうけど、別に「おくり名」の慣習を知らないことは知らなかった、でいいじゃんと。
指摘されたら、そういうもんなのね、と納得して次から正せばいいじゃんと。
なんで「そうとは限らない」的な市中のアンチテーゼをわざわざ皇室にまで適用しようとするんだろうね。
というか一旦、日教組教育は忘れようぜ?
ただ少なくとも、あえて「学校で習ってないから論」を弁護するとすれば、「日教組教育」にあっていたら知るわけがないのも仕方ないよねっていう。
私はそれほど「左派的な」専門教育を受けてたことはないけれど、いわゆる一通りの「日教組教育」なら受けてきたので経験的に分かるけどね。
例えば小学校時代は、
音楽の教科書の「君が代」のページは「ウリナラコ?(韓国の歌?)」を上から貼ったし、
天皇や皇太子に「陛下」という尊称は付けるべきではないと言われたし(なぜなら陛下など付けずとも、最初から立場が上の意味を持つ「呼称」だから)、
「起立・着席」は「立ってください、座ってください」と言わなければならなかったし(軍隊を彷彿とさせるから?)、
当時よくあった学校の集金袋の「父兄印」は「父母印」に書き直させられたし(家長制度批判?男女平等?)、
道徳の時間は戦争や原爆の話のオンパレードだし(というか日本が悪いという話)、
自由学習でも日常的に「アイヌの文化を体験して触れたり敬ったり」したし、
その後の中学校でも歴史の時間には、
秀吉の朝鮮出兵は侵略、慰安婦に行列していた愚かな日本兵、南京大虐殺の○○万人説、などなど、とりあえず日本ダメ論をこれでもかと習ったわけよ。
沖縄や朝鮮半島の歴史もなぜか深めに教わったしねw
うん、書き起こしてみるだけでバリバリの日教組教育だなw
でもさ、必ずしもその教育で全ての見方が変わるわけではないよねっていう。
少なくともおそらく左も右も、誰もが認めるところとして、
今の上皇陛下は自らの象徴天皇という立場に真摯に向き合って、そしてそれを成し遂げてきたことによって積み重ねた「人徳」は何にも代えがたいわけよ。
そんな人物に対して、最大級の敬意を払って「歴史ある正しい呼び名」を使うことに何の疑問を挟む余地があるのかってことなわけ。
リベラルちっくな人が良く使う天皇「制」
左vs右という構図でいえば、たまーに「天皇制なんて呼ぶな!」「でもあるじゃないか!」という言論対決もあるわけだけど、
個人的にはぶっちゃけどっちでもいいんだがw(口語の会話の中では使う場面もあるし)
他方で、それでも果たしてリベラルの人が指摘する文脈において、現代の制度が「天皇制」って呼べるのかは甚だ疑問があるところなんだよね。
しかしだ、少なくとも現実的に「人権」というものをある意味で超越したような存在がこの国にいるってのは、不思議なことだし単にすごいことだよねっていう。
端的な例で言えば、皇族に生まれたものは必ず皇族にしかなれないわけよ。(婚姻で離脱はあるけどね)
ひいては生まれた性別や順番によっては、将来の皇太子や天皇の地位が確定しているとか、いったいどんな境遇かと。
苗字も存在しない、戸籍もない(皇籍はあるが)、なのに内廷費という名の税金で生活する、そして生まれながらに誰かが見かければ人が手を振ってくれる。
もうどんな存在だよと。少なくとも私たちが思う自由がないのは確かかもしれない。
プライバシーなんてあってないようなもの。これは平等ではないと言えるのか、果たしてこれは差別と呼んでしまってよいものなのか。
確かにある皇室プライバシーの問題
おそらく、紀子様や雅子様の婚姻や出産あたりの時代を覚えている人にとっては、記憶に新しいことだと思うけれど、
まぁ結構当時は報道が過熱してプライバシーなんてまさに無いも同然だったよね。
祝福ムードがあるかと思えば、一転してバッシングがあったりとか。
それこそ「おめでた」とか「お世継ぎ」のことに関しては、現代では考えられないほどの異常な報道姿勢だったと思うよ。
まぁそれが結果的に雅子様に大きなプレッシャーを与えることになったのは言うまでもないこと。
だから少なくともいくら皇室という特別な立場だといっても、こういうあり方・接し方はよくないことだ、というのを私たちは学んできたはずなんだよ。
とはいえ秋篠宮家に関連する昨今の報道ってのは、なんだかなーと思う反面、逆に色々と明るみに出ることによって、「皇統」というものへの在り方に問題意識を持つ人も出てきたもの事実。
(ただしそういった報道が全く配慮なく行われていいとは思わない。それは結果的に前時代的な「閉ざされた皇室」に戻ってしまいかねない)
※ちなみに「皇室」と呼ぶか「皇族」と呼ぶか、これも微妙に議論が分かれるところなんだよね。普段何気なく使う単語が、この類に問題においては本当に一つ一つが難しいこと。
少なくとも政治的な権威ではありえない
「制度」として成り立たせるにおいて、確実に言えることは誰もが知る通り現代の天皇制には「政治的権力」はないということ。
いわゆる象徴天皇という話。一応「国事行為」は規定されているけれど、そこに陛下が意見することすら許されないわけよ。
とはいえ私的には「意見」くらいは許されていいと思っているけどね。
いくら整合性が取れないとはいえ、今般の譲位のように結果的には意見で世の中を動かしている形になっているし。
ひいてはこれがいわゆるベトー(王政における拒否権)を持ちうるならば、それはそれでより良い政治システムの安全装置にもなるかもしれない。まぁ現行法規がそれを許さないけれど。
(しかし現状でも、例えば陛下が物理的に「印を押さない」ってことをした場合、それは実質的にベトーになるんだろうかw)
なんか法律との兼ね合いで言葉の言い回しで乗り切る例って言えば、
先の退位、譲位に当たっては、本来であれば「玉音放送」であるところを「ビデオメッセージ」だよ?「勅命」であるところを「お気持ち」だよ?
憲法との齟齬を発生させないために、極力政治的な意思や影響力が及ばないようにされているわけよ。
特別な存在であるはずなのに、その特別さを認めてはいけない。なんだか自衛隊の解釈問題のような感じを覚える。
昭和天皇の大喪の礼を知っている人にとっては有名な話だけれど、鳥居すら可動するタイプで式が行われたからね。いわゆる政教分離のために。要は身内の葬儀すら自由な形態で行わせてもらえないっていう。
たぶんあの当時の暗い雰囲気の中で、誰もそんな部分にツッコミなんて入れなかっただろうに、これほどまでに神経質にコントロールされているわけよ。
この構図において、天皇陛下や皇族が存在するからといって、まるで戦前のような天皇制、ひいては戦争国家になり得るくらいのことを考える一部のアカい人たちはちょっと意味がわからんのよw
そもそも「人間宣言」って?
ちょっと誤解している人がわりと多い気がするんだけど(たぶん日教組のせいでw)、
歴史の時間に誰もが習ったであろう「人間宣言」って「朕は神サマじゃなく人間である(キリッ」ってのが主題じゃないからね。
一応原文を引用。
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
これをざっくり口語訳すれば、
「私(天皇)と国民は信頼の絆があるよ。それは単に神話とかがあるから生まれたモノじゃないよ。天皇を神サマとして、かつ日本人が他国の人より優れているから世界を支配してもいいとかいうおかしな考えからくるものでもないよ。」
って感じ。
別に「私、人間だから」なんて書いてないわけよ。神話や祖先の神様の存在も全く否定していないし、なんだったら言い回しの解釈次第では「自身が神サマ」っていうことすら否定していないように「読める」っていうw
むしろあえてここでGHQがさせたかったことといえば、中国大陸とかヨーロッパの王政ではありがちな「天命の存在(権威の神格化)」への否定。
神様から今の地位を授かったから何してもいいでしょ論はいけないよ、っていうかそんなちゃちなもので国民との絆が生まれたわけじゃないよって話。
日本において「神サマ」ってなに?
ごくごく単純な話として、欧米風のGOD(いわゆる唯一神)的なことを、戦前ですら誰も天皇陛下に対してイメージしていなかったんじゃないのっていう。
はっきり言えば、そこを大真面目に先述の人間宣言で「GHQが否定してくださった!それでみな目が覚めた!」的に解釈する言論とか、もうねどんだけ戦前のこの国の人に対してピュアなイメージ持ってるのかと。
よく右の人が言う、日本は八百万の神々がいるから(=神道的な価値観)ってのは、ある側面では正解だと思っていて、
これは現代に当てはめたって「代打の神様」は野球界に無数にいるし、明らかに人間のはずの菅原道真だって「受験の神様」として学生に今でも大人気だし、ネット上だって日常的に「うはww神動画www」とか言ったりするし。
そういうかるーいノリで「神」って言葉を使う文化は確かにあるわけよ。(とはいえ、これが日本独特の考え方かと言われれば疑問だが)
だから天皇陛下のことだって、「なんか昔から脈々と続いている歴史ある家柄のすげー人」を「神サマ」と表現したってなんら不思議なことじゃないよねっていう。
伝統や慣習を大切にする分野
時代によって言葉のみならず、様々なものが変化していくのは当たり前だけれど、少なくとも「皇室」ってものは変わらずに軽く1500年は続いてきているわけよ。
そんな長い長い歴史を抱えていれば、この国で最も伝統とか慣習を重んじる姿勢でいて何が悪いの?ってことなわけ。
無理やり変えていかざるを得なかったこともあるけれど、それでも変わらないことは皇室というものが今日も続いているということ。
これは「皇統」と言い換えてもいいかもしれない。男系男子で脈々と受け継がれてきたわけよ。
ところがさ、これを何やら令和になって早々「時代にならって」女性天皇ひいては女系天皇でいいんじゃないか論があるんだよねぇ。
一応私の基本的な立場としては、女性天皇なら有。なぜなら先例があるから。ただし女系はダメだ。もう禁忌と言ってもいいかもしれない。
これに対してなんか、前例があれば何でもいいのか?的なことを言う人がいるけれど、そもそも新しいことを始める(チャレンジ)っていうのが無条件に良い物だっていう概念ってわりと最近のことだと思うんだけどね。
むしろチャレンジって一昔前ですら、無謀って言葉と紙一重だったはずで、それを経験的に知っていたからこそ、皇室は伝統や慣習を重んじてきたんじゃないのっていう。
皇室(天皇陛下)ってのは、明日が今日と変わらずに(マイナス方向には決して行かず)国民の生活とこの世界が、幸せで平和に続いていくってことを願っているわけでしょう。
あえて言えば、意見や拒否のしようがない立場に無理やり居座らされながら、果たして誰もがこんなことを願うことができるかね?
っていうかね、もし皇室がそれこそ一個人の考えとか、世論とか時代「程度」の物で変わりゆくものだったとすれば、ここまで皇統は続いていないわけよ。
数多の先人たちが歴史とか文化をなんとかして守ろうってしてきたからこそ続いてきた話。だからかるーく「男女平等だし、女系でもよくね?」とか言う安易な判断は最もダメだと思うわけよ。
女系はなんでダメだと思うのか?
なんかさぁ、これはようやく広まってきた感があるんだけど、男系男子のみが継ぐってむしろ「完全なる男性差別」だからね。
(たまーに聞くY染色体どうこうって話は私的には心底どうでもいい。遺伝子検査が無かった時代で、むしろ「本当に血統がつながれてきたのか」自体はっきり分からない話。だからDNAレベルに行き着く話は無意味。)
ってことで女性差別だー(棒みたいなこと言ってる人は、はっきり言って意味が分からないw
女性は「民間人であったとしても」皇后陛下になれるし、天皇の母にだってなれる。例えそこまでは叶わずとも、皇族にはなれるんだよ。まぁ現状ではすさまじい競争率なわけだがw
対して、男性は絶対に皇族にはなれない。どう頑張っても天皇になることも出来ない。
歴史上で幾度かそれに「チャレンジ」しようとした人物はいるけれど、それをさせなかったのが男系男子の血統の原理。
(というか眞子さまと某氏の間に長引く問題を見ても、果たして手放しに女系でいいと言えるのかと)
そもそも推古天皇で有名な女性天皇ってのも、基本的に一代限りのピンチヒッターなわけよ。だからその子が天皇になる、とかもありえない話なわけよ。(ただし遡って男系かつ女系天皇というハイブリッドならあり得る)
女系でいいって人は、少なく見積もって1500年の歴史と努力を灰燼と化すほどの覚悟をもった判断なのか?と。はっきり言って、そんなこと知るかorどうでもいい系の人には安易に意見してほしくないレベル。
ちなみに国民統合の象徴ってのであり続けるなら、長子相続(男系女系問わず)の方がシンプルに皇位継承権が分かりやすいとか言う人がいるけれど、
だとすれば昔のヨーロッパみたいに「○○家の王子や王女」とか乱立していいんかと。世界史でどんだけ覚えるのがめんどくさかったかと。それが国民統合の象徴を生み出す皇族になり得るんかと。
最も理解しがたいのは「いま」言う女系論
これは崩御を伴わず、新時代の天皇陛下と共に令和になったからっていうタイミングの問題もあるのかもしれないけれど、
端的に言って「今」女性ひいては女系でも構わないってことになると、愛子様の扱いは一体どうなるのか?
いや、むしろ秋篠宮の悠仁さまは一体どうなるのか?極論、悠仁さまが将来の天皇になるであろうという暗黙の了解すら木っ端みじんに粉砕するわけよ。
※この手の話でよく出る「帝王学が云々」みたいな言論は、そもそも「帝王学」ってものが明確に存在するかが甚だ怪しいので、個人的にどうでもいい部分。
もうね、一言で言えば「不敬」ですよ。
確かに皇統の継続は男系男子のままでは難しい。難しいどころか、おそらく確実に滅びるといっても過言ではない。
だけど女系に行き着く前に、もっと他にも出来ることがあるはずなんだよ。(端的に言えば旧宮家の存在は大きい)
それらをやりつくしてからでも決して遅くはないはずなのに、なぜいきなり女系なのか。そしてよりにもよって今、悠仁さまがいるこの時に。
幼い時期に自分の将来の立場が大人の「世論」であっちこっちさせられる身になってみろよと。(これを普段平等や人権をうたうリベラルちっくな人がする矛盾w)
「国民の総意に基く」象徴天皇だからこそ、もっと議論に議論を尽くして、「アンケート」的な軽い物じゃなく国民全体が関心を持って、それで未来を決めていかなきゃいけないんじゃないかと。
そのうえで、やはり最終的に女系天皇で良い、となれば正直それは仕方ないこと。
だけどこんな中途半端なミーハーな関心程度で、歴史を覆す決定がなされてしまうとしたら理不尽にもほどがあるだろう。
この国が誇れるものがどんどんズタボロになっていく「失われた20年」を見てきて、さらに皇室まで壊されたとすれば、
まさしく三島由紀夫の言った「ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」だけになってしまう。(その頃には経済的大国であるかも怪しい)
誤解を恐れずあえて言えば、ぶっちゃけ私はそれでも構わない、とも思うよ。
しかしその時はおそらく、今までとは感覚的に「何かが違う国」になっているのだろうなとも思う。
ただしそれこそが真の新時代の到来なのかもしれないし、むしろ今よりもっと明るい未来なのかもしれない。
だけど本当にその「カタチ」に私自身が納得して歓迎できるのかどうか、「国民の総意に」基づいた形に落ち着くのか、そこについては疑問が残る。
幸か不幸か、世界でも例を見ない問題をこの国は抱えているわけよ。
だからもっと真剣に皇統というものについて、安易にならず一人一人がじっくりと考えなきゃいけないことなんじゃないかと思ってる。