twitterに書くには長すぎる、かと言ってブログに書くには短すぎる、そんなチラシの裏にでも書いておけシリーズ。
まだ成人式の振袖で消耗してるの?もうやめちゃえば?
たった一日のために、1年前から店探し、当日は無駄に早起きして送り迎えしてもらって、自己顕示欲と承認欲求を満たしながら、ほとんど多くの場合はたいして美しくもない写真を残す。
もうね、そこにかかるコストはいかほどってやつですよ。いや、別に思い出はプライスレスっていうならいいのよ。
でもさ、肝心のそれらのコストは成人たる本人はまず払わないよね。早起きするってことと、過ごしにくく歩きにくい服装で一日過ごすっていうだけしか負担してない。
言うなれば、単に親の自己満足の着せ替え人形として、周りと何ら変わらない没個性の流行りの服装をしているだけ。
個人主義を標榜しながらも、リクルートスーツよろしく成人以降はまるで型にはまったように、鎖に縛られていく。
社会の押し付けなんじゃね?着たいなら普段着でいいじゃない
誰かがやめない限り、手を変え品を変え、振袖マーケティングは続いていく。そして成人式の女性の服装は振袖がスタンダードだって大人が言い続ける限り。
何がいいの?ハレ着?そんなに美しいのなら日常でも平気で着れればいいじゃない。
だけどそれをしたとたん、まるで奇妙なものでも見ているような違和感を含んだまなざしを向けるのは大人たち、そして味方のはずの同世代だよね。ダブスタの象徴。
化粧だのヘアメイクだのフォトグラフィックだの着付けだのスタジオ代だの、様々人件費がかかるもんだからレバレッジがかかって振袖代はかさんでいく。
それを提供側も消費側も皆わかってるもんだから、レンタルだの振袖0円だのでコストを抑えようとする。本末転倒とはまさにこのこと。
だったら最初から着なきゃいいじゃない。男性みたいにスーツでいいじゃない。袴だってドレスだってTシャツだってなんだっていいじゃない。
社会の押し付けと、周囲の同調圧力に屈するなよ、若人たち。というか成人式なんてもん自体やめちまえよ。