よつまお

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【ワガママな人シリーズ】寂しがり屋なのに一人の時間や空間を欲しがる

巷に一定数存在する「ワガママな人」をテーマに考えてみる。

 

掲題の通り、寂しがり屋にもかかわらず、人が歩み寄っていくとそれはそれで「ウザイ」と思う人を紐解いていく。

 

心地よい距離感は当人だけが知っている

人は誰しも確かに、掲題のような一見矛盾している性格を心の中に併せ持っている。

 

ほとんどの人は、寂しいという感情、あるいは逆に人がウザイ(一人になりたい)、という感覚を誰でも人生で一度は感じたことがあるはずだ。

 

それ自体はなんら不自然なことではない。だが、問題となるべきはそれが度を越えているような場合だ。

 

そもそも、肝心のその「ちょうどよい接し方」あるいは「ほどよい距離感」というものは個々によって千差万別であるし、原理的に当人しか知りようがない。

 

にもかかわらず、寂しがらせたり、あるいは近づきすぎると一挙に不機嫌になるタイプが存在する。そして往々にしてその理由を自らは口にしない。

一体それはなぜなのか?

 

相手が自分を気遣うべき、という発想

ごくごく単純に一言で言ってしまえば、そういった人は「受け身」なのだ。

 

もっとより端的に言ってしまえば、「幼稚」な心のまま、姿かたちは「大人」になってしまったのだ。

 

幼少の頃は誰もが、親や家族や大人たちによって、時に構ってもらえて、時にほおっておいてもらえる。

それは他方で、周囲の大人たちが試行錯誤しながら理解しようとし、気遣ってくれたからに過ぎない。

 

しかしその環境にそのまま甘え、そして気遣いに気づかず年齢だけ重ねてきてしまった場合、こういった人たちは自ら人に「心地よい距離感や時間の使い方」を伝えるということが身につかない。

 

だから、自分にとって気に入らない状況になると、すぐ不機嫌になる。そしてその不機嫌さにを態度に出すことによって、相手に分からせようとする。

しかし決してそれは当人たちは悪気があってやっているわけではない。そもそも「伝え方を知らない」のに「できるはずがない」からだ。

 

そんな時にアナタが取れる対処法は、大きな心で受け入れるか、妥協して諦めるか、はたまた距離を取るか、だ。

決して真剣になって改善させようとしてはならない。それはアナタ自身が無駄に疲弊するだけだ。