わりとよくメディアの知識人や言論人の間では、ネットの知識だけでなくて実際の本を読め!(ドーン)という主張を見かけるし、そしてそれはネット上でも今月は○○冊読了しました!(キラッ)って言いつつレビューを書いている記事が無数にある。
まぁそんな中でこの記事を読んでいて思ったのだけれども、
本を読んで本当にタメになってるの?("本"だけに)
って話。
"読むだけ"でいいの?
いや、もう少し正確に言葉を選ぶならば、読んだものをきちんと消化できているのか、ということ。ここでの主な言及対象はくだらねぇノウハウ本とかハウツー本の類。
いまの世の中、別に実物の本を手に取らなくても、電子書籍だったり、そのレビュー記事をはじめとして、無数にネット上に知識は転がっているし、極論言えばおそらく"並の人生を送るだけ"ならば本なんぞ要らないとすら言える。
誤解のないよう敢えて言えば、私はむしろ"実物の本"という感触そのものが大好きな人間である。だから自らが読みたいものは真剣に選ぶし、入手したものはなかなか手放したくない。
自慢じゃないけど速読マスター(自称)なので、一日に何冊も読むことなんかは特に苦にならないし、どんな本でも実になるのならやるけれども。
例えば、自分の興味を引く本って、ホントにそんなに毎月何冊もあるのかしら?
それは知識人や言論人たちならば、幅広いジャンルの話題に対応できなきゃいけないし、それがお仕事なのだから率先して読書を行うけれども、一般ピーポーがその形だけ真似したところで単なる読了数の自己満足になりませんかね。
それを踏まえて先述のブログ記事で印象的な部分。人生に迷ってる若い人のブログについて。
そうすると、ある時、「人生の何たるかを悟りましたよ!」的なエントリーをあげてくるわけだ。
人生って、こういうことなんすよね!って。何かが分かっちゃったよ!って。
それで、読み進めていくと「答えはこの本に書いてありました!」って、アマゾンの広告が最後に貼ってあるんだよ。
・・・・・・分かっていない。
当然、数週間たつと、また人生に悩んでるんだよね。分かったような気になっていただけだから当然だ。
そうそうww いや、これはお小遣い稼ぎとして仕方ないんだけれども、それを見た瞬間すごくその人の読書に関する情熱が、うすーく感じられてしまうんだよね。
本の知識を鵜呑みにするのは…
だって知識人で本を読めと薦めている人だって、ほとんどの場合において自らも本を書いているのであって、それは先述のブログ記事引用のように、自著の売り上げのためとか、出版社を盛り上げるため、と穿った見方をできなくもない。
まぁ実際誰のどんな内容の本を読むのかは精査した方がいいと思うんだけれど、例えばよくある書籍のタイトルで○○の格言!とか○○個のルール!とかいうありがちな本を読んで、それをそのまま理解して実行したところで、何も生活に影響でないと思うんだけどね。
それは学術的な本であればより顕著だけれど、自らの頭で考えて、反芻して消化しなければ、何も意味がない。
もっと言えば、とある業界の権威や教授が書いた本の内容が全て正しいのか?自分がそれに対して思いついたことの方が実は正しいのじゃないか?という懐疑心は習慣としてあった方がいいと思うの。歴史関係なんて正にその最たる例だよね。
ちなみに某ギャグ格闘漫画のバキにおいて、某烈海王が「キサマ等の居る場所は既に――我々が2000年前に通過した場所だッッッ!」とか言う印象的な場面があるんだけど、
んで、それの何がいけないの?
ってこと。
大抵自らが苦心しながら考えてすごい回り道して出した答えなんて、広い世の中の誰かが既にいとも簡単に考え付いていたことだったりするんだけど、そのプロセスが大事なんじゃないかね?
限られた人生の時間を無駄にしたくないという気持ちもわかる。それに対して吸収しなければならないこの世の知識は、あまりにも膨大なんだけど、本だけ読んで正解をそのまま知ったところで決してそれが必ずタメになるとも思えないんだよね。
答えはどこにあるのか
自由ネコの中の人同様、結論は「そんなの知るか。お前が自分で考えろ」だと思う。
いや、こう言っちゃうと私自身が実に老害的な精神論根性論マンセーに感じてしまって、自己嫌悪に陥るんだけれども。。
誤解を怖れず敢えて言えば、何かに迷っていたり自信がない人ほど、本というモノを読まずにはいられない。答えは本当は手の届く場所には無いだろうにね。
これらの記事内容なんかにも、タイトルからでさえ察せる通り、その答えの一端は眠っているかもね。
スナフキンの名言「誰かを崇拝しすぎると本当の自由は得られない」 - 自由ネコ
それこそ"本"というものを崇拝しすぎるのは、自己肯定感の欠如の表れかもしれない。いや、ありすぎても逆に気持ち悪ぃ(ry
自己肯定感が低く、生きづらさを抱えている人が最初に取り組むべき事 - 自由ネコ
兎―野性の闘牌―におけるジャッカル曰く、
「認めてやればいい。弱い自分を穴を開く程見つめてやれ。その存在を思いっきり認めてやれ。 私もそこがスタートだった。」
あるいは私が崇拝してやまない、かの有名なインディジョーンズ博士曰く、
「良き考古学者になるには、図書館から脱出する
少なくとも何らかの事象が書籍として如何にしてまとまるかといえば、数多のフィールドワークなり思考実験なり、科学技術なんかであれば途方もない回数の試行錯誤の経験とか様々なプロセスを経て、徐々に構築されていくわけだよね。
ならば自らだってそれを読むだけに飽き足らず、実際に追体験するかの如く外に飛び出して、何でもいいから行動してみることは十二分に価値あることだと思うよ。
いや、ジャンルによっては無茶な話ではあるんだけどもさ、仮に例えるなら、下手なビジネス書や自己啓発本を読むより、何だかんだ一人旅にでも出た方がずっと建設的なように思えるけどね。
この場合、別にアウトドアに限らず何でもいいと思うんだ。誰だって世の中まだまだやったことないことってたくさんあるはず。それを試してみるだけで、新しい知識の発見になるかもしれない。
正解とは自分が考えて掴むもの。
本の中に正解があるとすれば、それはもう既に世の中に知れ渡ってしまった公理だ。ならば、誰も知らないことを――真理を見つけたい、そこにマロンロマンがあるとは思わないかね?
、、まぁとは言ってもやっぱぶっちゃけ、キチンと本を読むと得るものは多いんだけどね。