四方山話シリーズ。
もう掲題の通りなんだけどさ、なんで「階段」ってものを思いついたのか?って思うわけよ。
低いところから高いところに上がるために、あるいは逆もまた然りだけど、なんで単なる「坂道」じゃなく「段にしたらいいんじゃね?」って思ったのかっていう。
確かに「階段」の方が圧倒的に楽だ
それこそ山道のような傾斜の強い坂を登ったりするときなんてまさに顕著だけど、それが階段となっているだけで足腰にかかる負担はかなり軽減される。
そこからさらに段自体が自動で動くようにしたらいいんじゃね?ってことで「エスカレーター」になったり、いやいやそもそも人や物体自体を動かした方がより楽じゃね?ってことで「エレベーター」に進化していく過程はわかる。
でも、そもそも一番最初、「坂」を「段」にしよう、ってどうしたら思いつくわけ?いつ思いついたわけ?
たぶん私が古代人だったら、絶対思いつかない気がするんだけどw
結局のところ、これって「自然発生的」な「集合知」によるもの、ってことになってくるのかなぁ。階段の起源って、ほんとに何なんだろう。
けれど似たようなことはよくある話
これって食の世界だと、結構なんでその発想になったん?ってことはよくある。
例えば、フグを安全に食べようって思った人たち。
もうさ、普通は毒がある魚だって思ったら自然とあきらめるじゃん?てか死人も出てるわけじゃん?
にもかかわらず、あきらめずにどうにかして食べちゃおうって発想。
そして長い年月と数多の犠牲の上に、ついに安全に食べることに成功した人たち。
もうね、意味がわからないわけよ。なにその執着心っていう。
あるいは、こんにゃく芋からこんにゃくを作る製法を考えた人たち。
そのままなんて当然食えたもんじゃない、っていうかむしろ毒でやばいw
でもそれを機械なんてない太古の昔に、おそろしいほどの手間暇をかけてこんにゃくを作ったわけじゃん?
でもその出来たこんにゃくは超絶低カロリーw腹の足しにならないw
もう、わけわかめ。そこまでして食べようって思ったのはなぜ?っていう。
ホント、世界には色んな人がいるんだなぁって思うと同時に、古代人まじすげぇ。