よつまお

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かけがえなき盟友

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Self Review

2014年1月期自由テーマエッセイ。先行公開分。

過去のコンペ用作品のリライト。

 

最近ずいぶんとリライトばかりになってしまっているが、まだまだ冊子化されていないものがあるので、それを一通り出し終えるまでは、と考えている。

 

私の中でのテーマとしては今回のものもよくあるもので、それほど変化はなく、もちろん結末自体もほどんど変えていない。

いつまでも成長しないなぁという反面、これはこれで主張を変えず自身の良さとして所持しておきたい。

 

リライト、という作業においては、やはり短文化・ボリュームダウンはなかなかに難しく、その点において新規に何か文章を書き上げるのとはまた別ベクトルでの技術が磨けるのではないかと考えている。

 

しかし逆に今度は長い作品、それこそ長編小説などを書く際に苦労しないのだろうかという不安材料でもあるところだ。

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   かけがえなき――盟友――

 

「かけがえのないもの」とは。友、恋人、家族、仕事、地位、名誉、お金であろうか。

 

私は物事を〝私が私として考える〟ということをある意味信仰にしている。

 

つまり結論を述べてしまえば、いま私のかけがえのないものは「記憶」なのである。

 

例えばここで私が突然に記憶喪失になったとしよう。全てを無くし、そして新たな私として生きていかなければならなくなったとき。

 

それは真に私と言えるのだろうか。

 

いや、それは〝この私〟ではない。むしろ新しい私がその時生まれたに過ぎないのだ。

 

とはいえもちろん、過去に私の人生を彩ってくれた友情や恋愛、仕事やプラベート自体が無価値かと問われれば、そうではない。

 

それらも私の中に確かに刻み込まれているし、それがあるからこそ記憶がかけがえのないものだと言い切ることが出来る。

 

いま私が一番恐れることは、この頭の中に記録されている情報達を失ってしまうことだ。

 

情報喪失の究極形が命の終焉とすれば、それは生命体として何ら仕方のないことである。

 

しかし前述のように、もしも例えば明朝に起きた際に、新しい私となっていたら……

 

これを考えるだけで、眠りというものに恐怖さえ覚える。私は忘れるのが怖い。何かを無くすのが怖い。願わくは自らの手で、自分に関係するあらゆる得失を決めたいのだ。

 

私はそう考えてしまうほどに、とことん臆病なのだろう。

 

そんな臆病者にも、唯一の取り柄がある。

 

それは〝これ〟だ。この私をここに記すことは存在証明となり、もし仮にこの私が滅びても、ここには確かにこの私が生き続ける。

 

おや? ……もしや私の最もかけがえのないものとは――言葉なのではないだろうか。

 

私はこの見つけ掛けた〝同志〟を失わないために、今日も大切に、大切に書き続ける。