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Self Review
2014年1月期規定テーマエッセイ。先行公開分。
規定分なので当然に書き下ろしとなる。
なかなかに書きにくいテーマだなというのが第一印象。しかし、それを少し捉え方を変えて仕上げることが出来たのではないかという感覚がある。
あまりにもワガママな意見でもそれはそれで問題であるし、かといって曖昧すぎてもどうだろう。という中で、ちょうどいいバランスになったように思う。
似たような言説は以前にどこかで言及しているような気もするのだが、これも根本の考え方は当時も今も変化していないというものである。また、一応今回の自由テーマ分とのつながりを多少意識した文章にしてある。
個人的には最近リライトばかりの中で新鮮味があったのだが、逆に今後は規定テーマを少し休むなどして隔刊で冊子掲載にしようかとも検討中。
やはり目標としては、いち早く構想段階の小説を第一章目の一部からだけでも何らかの形で公開に踏み切れるようにしないといけない。
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~私の顔~
この感情の正体は――
私は自らの顔、というより、姿かたちが記録されてしまうものを、以前からどうしても嫌悪している。それは写真にしても映像にしても、描画にしてもだ。
別に自分に自信が無いからとか、魂が抜き取られるからとか、歴史上のとある人物と志同じくして……とかいうわけではない。
単に昔から好きになれないだけなのだ。
この感覚は思春期以降に覚えたものだと記憶しているのだが、最初は自分でもなぜなのかさっぱり見当もつかなかった。
しかし今となっては理由もほぼ明瞭に自覚しつつある。
簡単に述べてしまえば、それらに記録される私は〝生きていないから〟という話だ。
画像や動画に私を映した際、それはその瞬間そこにいたときの私であって、いまの〝この私〟ではない。
常々私が思うに、いまのこの私こそが唯一で、最も大切なものの一つなのである。
すなわち、その当時の自分を客観視してしまえる物に出会うのは、どうしても嫌なのだ。
もちろん自分自身のことを「過去を省みようともしない無神経な奴だ」と恥じることなく開き直っているのではなく――
とはいえその一方で、私の脳内にある「記憶」自体は財産とも感じていて――
これは感覚値の問題なので、他人にはひどく説明しづらい部分である。
言い換えると、まだまだ青二才なのだろう。
「今」というこの一瞬を懸命に考え、最善に生きるということに精一杯なのである。
私が過去を回顧し、穏やかな気持ちで受け止めることが出来る日は来るのだろうか。
その目途は全く予想することができない。
しばらくは、若輩者と一人前の大人との精神性の間に身を委ねていようと考えている。