四方山話シリーズ。
一人ファミレス、一人カラオケ、一人テーマパークなどなど。
いわゆる「おひとりさま」が一定の市民権を得て、それと同時に供給者側も各おひとりさまが利用しやすいように意識した営業戦略を取ったりもしている。
基本的に一人行動が苦にならない私としては喜ばしい環境になったもんだなぁ、と思う反面、逆に「一人で〇〇できない奴はおかしい」的な一部の過激な思想を持った原理主義者も見え隠れしている。
そもそも人が感じる「孤独」にはレベルがある
極端な話、そこら辺の道を一人で歩く「程度」のことでさえ孤独を感じたり、ある種の不安感や恐怖感を抱く人々も一定数存在する。
完全に私的な感覚であえて言ってしまえば、「未熟だなぁ」という印象を受けなくもないけれど、むしろ当の本人にとっては死活問題と同じレベルなんだろうなという理解が出来ないことも無い。
それこそ承認欲求強めな10代などの若者は、誰かといることや共感されることこそが自分の強い存在意義になっているのだろうし、逆に一人で何かをするということ自体が即「=絶望的な孤独」という価値観になっていても決して不自然ではない。
一方で、高齢者の単身世帯などにとっては孤独は非常に身近なテーマで、それに対して好意的に受け止められているかは別として、少なくとも10代が感じる孤独感とは次元が違うレベルのものだろう。
むしろ「完全なる孤独」でいられる人は少ない
ここでいう完全な孤独とは、少なくとも数週間~数か月という単位で「誰ともコミュニケーションを取らない&行動を共にしない」こと、と定義する。
いわゆる「おひとりさま」が好きな人でも、そのレベルまで実践している人あるいはそのことに「孤独感」を一切感じない人は少ないのではないかと思う。
そもそも人間が社会生活を営む、ということとコミュニケーションを完璧に切り離すのは、少なくとも現状は不可能に近いからだ。
他方で、そんなことが当たり前の日常になっている人々も確かに存在するだろうし、そもそもそれが苦にならない、いやむしろ大好きである、という人もいるかもしれない。
結局のところ、人が許容できる孤独は完全に人それぞれなのであって、仮に若い頃はそれらを受け入れられても、加齢とともに徐々に不安を抱く人が出てきてしまう問題は避けられないだろう。
そこに対する前提を欠いた状態で、安易に「おひとりさまは恥ずかしくない」という価値観を浸透させて過ぎてしまうのは、社会としてはもしかすると少し無責任なのかもしれないなぁと思ったりする。