よつまお

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メディアの風

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Self Review

 

所属同人自由テーマ。

エッセイ調ではあるものの、論評に近い部分も含んでおり、私が書いてきたものの中ではかなり政治的主張が多い作品である。

 

とはいえ、あまりにも政治思想が強すぎたり内容が煩雑だと、生理的に読みにくさを感じさせてしまうので、それをいかに解消させるかということに悩んだ。

そのため私なりに、とある疑義のあるウソを文中に仕掛けてある。

 

内容的にも文体的にも完成の満足感はあるのだが、正直中途半端な面もあり、最近の政局を見ると余計にもう少し書きたかったなということもある。

 

私自身の主張を大切にするのか、読みやすさ・受けのよさを考慮するのか、といったバランス感がまだまだ足りないと改めて認識する。

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メディアの風

 

私のこの文章が世に出る頃、政治の趨勢は既に決定している。そして政府や政策についてマスメディアは多種多様な賛否を展開しているだろう。

 

 しかし、所詮は娯楽物の一つに過ぎないのである。一方、それらの集団が吹かす風によって、国の行く末が大きく決定付けられかねないのは記憶に新しいところだ。

 

 現時点のこの私のメディアに対する考えを、ここに備忘録的に記しておこうと思う。

 

 現在の日本では経済が大きな問題となっている。そこに存在するいくつかの世論を考えたい。

 

 消費増税――社会保障充実のため、震災復興のためと言われている。しかし、税金を払うのはあくまでも国民である。不景気で喘いでいる中で増税をして、果たして税収が増えるのか。過去の歴史を振り返れば、答えは否である――

 

 国の借金――家計に例えたら借金○×円、将来世代に借金を残すな、と言う雰囲気でよく論じられる。しかし実に不正確である。これは複式簿記をやっている人なら感覚的に分かるだろう。国がお金を借りているのは誰からか、言い換えれば、国にお金を貸しているのは誰か、言わずもがな、それは国民の方である――

 

 国家破綻論――これも前述の話題に関連してよく言われる。あと○×年で日本円は紙クズになり、財政破綻だそうだ。だがそれを論じている人々を観察してほしい。その人はどこの国に住んでいるのか? そして収入はどこの国の通貨で貰っているのか? 誰が今にも破綻しそうな国に住み、その国のお金で収入を得ようとするだろうか。こう考えれば、単に不安を煽るだけのマーケティング法なのは明らかである――

 

 デフレ容認――モノが溢れる時代で、不景気でも人々は心が豊かで幸せ、だからモノを買う人がいないのは当たり前だそうだ。もはやそれは資本主義否定である。ここで貴方に1億円がプレゼントされたとする。貴方はそのお金で何も買わないだろうか。そんな人はほぼいないと断言する。つまり心の豊かさは不景気とは関係ないのだ。単純にお金が無いから買わないだけである。さらに、少子高齢化社会だからデフレなのだ、ということについてもよく言われるが、それはぜひ諸外国を見てほしい。嘘を見抜くことが出来るだろう――

 

 株価上昇は一部の利益――景気が回復傾向になると株価が上がるわけだが、それはお金持ちだけの利益で、大多数の人々は関係ないそうだ。よく考えてほしい。貴方一人にお金を渡して、国全体を潤わすことが出来るだろうか。経済には順序がある。株で得た資本金→大企業→中小企業→従業員の給料の順番でお金が回っていく。その後に国民からの税金によって国が潤うのである。市場は大きい、だからこそこれは軽く年単位かかる話である。

 

 付け加えて、高齢者は株なんか関係ないという人もいる。しかし年金の原資は株で運用されており、株価は年金に密接に関係する。本来は株価が下がったら当然に連動して年金額は下がる。今までは株が下落し続けていても「たまたま」年金を下げずに凍結していただけである。国が潤えば年金も増える。本来株価上昇を応援すべきは高齢者なのだ――

 

 さて、ここまでメディアが展開しそうなよくある論調へ反論したわけだが、一体全体何が本当で何が嘘なのであろうか。言うなれば、私自身も文芸というメディアの一員である。実は先程まで書いた話が、全て大嘘かもしれないのだ。

 

 答えは目の前にある。本来は誰もが問題意識を持ち、各自がきちんと調べ、自らが正しいと思える考えを取り入れていくべきなのである。

 

 それが行われないと、メディアが起こす刹那的な風だけに惑わされ、自分たちが住む国の方向性が捻じ曲がってしまうことになる。文句を言うだけではダメなのだ。

 

 一人ひとりが自ら考え、そして自らの主張を持ち、政治に参加する義務と責任が当然と思える国となるように、私は願ってやまない。