私は果たしていま何者なんだろうとふと考えて、一応一時期は公にエッセイスト、作家と名乗っていたことを思い出したわけです。
今となってはちょっぴりとさりげなく雑記を各所に書いているに過ぎないわけですが、それは別に収入のためでも何でもないわけです。
そもそもそれで稼ぐなんて意識は自分には向いていません。趣味くらいがちょうどいい。
そりゃ正直お金になれば嬉しいし、それが自らの専門的な職業になるのもまた非常に有意義なものだとは思いますが。
しかし私は別にいまさらこの歳で夢見る少女じゃあるまいし、私自身の才能というか能力の限界というものは、自覚しているつもりです。
ですが脳内では、私は今でも自分のことを伝説の剣を引き抜ける勇者であると思っていますし、人類滅亡の危機に際して覚醒する救世主だと思ったりもしています。
そもそも私が何らか物書きになろうかなんて思ったのは、小学生の頃に図書室の江戸川乱歩とかコナンドイルを読み漁って、単にそれを真似してキャラクターだけ挿げ替えたような、似非推理小説を書いていたことが始まりだったように思います。実に定番な流れですね。
そして中高生になる辺りには音楽活動に熱中し、バンドマンになるという脇道にそれたこともあるけれど、それでも当時流行の32bitゲーム機戦争に接した際に、偶然、剣乃ゆきひろ氏の名を知ることに。
後にDESIRE、EVE、YU-NOなどなど一通りプレイして、一気にその斬新性というか世界観に惚れ込んでしまったわけです。
同時にメディア展開されていたノベライズや設定集などもコンプリートしたものです。もちろん桜庭一樹氏など他作家の方のシリーズや小説も好きですし、読了しました。
そのため、今でも私がどこかで創作物を書くときには大抵、時空漂流モノ、ループモノ、マルチサイトモノのいずれかになっているのはこの辺りで受けた影響からかと。
影響、というよりも単に私は好きなんですね。その手の話の作りが。
その後は、グランディアやエターナルアルカディア等のボーイミーツガールなヒロイックファンタジー要素のある作品、そして鋼屋ジン氏のクトゥルフ作品デモンベインとかやや成人向け作品に手を出し、案の定外伝的な古橋秀之氏のノベライズも読んだりしていく中で、私だって書き手として一つの世界観を書いてみたいと思ったわけです。
(端折りましたが、この間に下級生をはじめ、当時の王道学園モノなギャルゲーにはまってみたりもしたものです。)
絵も描いて、音楽もつけて、自ら演奏し歌い、そして小説も書く。シェアワールドとして、ゆくゆくはマンガ化、アニメ化、ゲーム化、映画化ってくらいのことまで本気で考えるほどに。歌手も声優も俳優も全部一人でやりたかった。
しかしですよ、当然自らの成長と共に、自分の能力値はだんだんこんなもんかなーと分かるようになるわけです。
同時に、大人になればなるほど守るべき生活ってものを嫌でも意識して、妥協して望まない仕事をし、時間も体力もお金も自由に使える範囲はいつの間にか減っていく。でもまだこのときは少しだけ希望をもっていました。
そんなあるときゲーム屋さんでアルバイトしていた頃、リメイク版のEVE burst errorとDESIRE、さらには探偵紳士シリーズの存在を知るわけです。
あまり巷ではそれほど評判が良くないようですが、私は一つ好きなものが出来ると関連する全部好き、となる性質なのでむしろ昔の思い出と共に上位作品であることに変わりはありません。
しかしそんなこんなで私は気づいてしまうわけです。
それらの作品は、もうあの頃の剣乃氏は直接関わっていない、あるいは、その当時の菅野ひろゆき氏のみが一人で全てを作り上げたものではないのです。
そんな全盛期の神がかっていた彼が書いた作品に、私は遠く及ばないのは勿論、その簡易版とすら云ってもいいそれらに対してさえ、私はつま先にもたどり着いていない。
気づくのが遅いですね。それだけ私は当時純粋まっすぐだったわけです。
所詮私が何を書いても、それは誰かのコピーであり、否、むしろコピーの体すらなしていない、単なる汚物でしかないことに気づくわけです。
というわけで私は何らかの職業クリエイターになろう、とした当時の夢はそのとき潰えたわけです。突き抜けて何か夢を追い続けられるというのは、ある種の高度な精神性と根性を持った者だけがたどり着ける境地なんです。
しかし時は流れ、現在、私は再び創作に関わっていたりもしています。
それは昔とは違って、表現の場が圧倒的多数になったことや用意する環境の容易性から、心理的なハードルが下がったことも一因ではあります。
ですがむしろ加齢によって、私自身の考えが変わったということによるものが大きいです。
昔は私はあの菅野氏の完璧さを目指していたわけです。桜庭氏の美しさを目指していたわけです。鋼屋氏の重厚さを目指していたわけです。古橋氏の意外さを目指していたわけです。
エルフ下級生の蛭田氏、グランディア2を作ったゲームアーツや、エタアルを作ったオーバーワークス、そこに関わった全てのスタッフの方々は私の神であり、悩み多き青春期の恩人であり、天上人です。
数多作品を世に作り出し、果てはそれらに囲まれ、自らが二次元の住人となる。
しかし、私はその能力はないのです。劣化コピーすら作れません。
そう、だから私ごときから作り出されるものは、ただの、うんこなんです。
だから、あるときから私は、うんこ製造機でいいじゃないか、と思うようになりました。
それは妥協でも諦めでもなく、本当に別にそれで構わないと思ったわけです。だって私はうんこしか作れないんですから。
もしこの地球にうんこがなかったらどうなりますか。
TOTOもINAXも倒産です。汲み取り屋さんは廃業です。
そうなると、彼らの家族は生活できません。彼らの子供たちもみんな生まれてこなかったかもしれない。
ハエさんも絶滅です。道行くスカトロマニアだって生きていけないことでしょう。
カレー味のうんことうんこ味のカレーどっちがいい?なんていう意味不明な二択も存在すらしていません。
うんこしか作れなくても、それを欲している人もいる。それしか好きになれない人もいる。
だからこそ、今私は別の世界を主戦場として生きていますが、今日も、これからも、この地球上の誰か、未来の誰かのために、マイペースにひっそりと、書き続けようと思います。
今となってはちょっぴりとさりげなく雑記を各所に書いているに過ぎないわけですが、それは別に収入のためでも何でもないわけです。
そもそもそれで稼ぐなんて意識は自分には向いていません。趣味くらいがちょうどいい。
そりゃ正直お金になれば嬉しいし、それが自らの専門的な職業になるのもまた非常に有意義なものだとは思いますが。
しかし私は別にいまさらこの歳で夢見る少女じゃあるまいし、私自身の才能というか能力の限界というものは、自覚しているつもりです。
ですが脳内では、私は今でも自分のことを伝説の剣を引き抜ける勇者であると思っていますし、人類滅亡の危機に際して覚醒する救世主だと思ったりもしています。
そもそも私が何らか物書きになろうかなんて思ったのは、小学生の頃に図書室の江戸川乱歩とかコナンドイルを読み漁って、単にそれを真似してキャラクターだけ挿げ替えたような、似非推理小説を書いていたことが始まりだったように思います。実に定番な流れですね。
そして中高生になる辺りには音楽活動に熱中し、バンドマンになるという脇道にそれたこともあるけれど、それでも当時流行の32bitゲーム機戦争に接した際に、偶然、剣乃ゆきひろ氏の名を知ることに。
後にDESIRE、EVE、YU-NOなどなど一通りプレイして、一気にその斬新性というか世界観に惚れ込んでしまったわけです。
同時にメディア展開されていたノベライズや設定集などもコンプリートしたものです。もちろん桜庭一樹氏など他作家の方のシリーズや小説も好きですし、読了しました。
そのため、今でも私がどこかで創作物を書くときには大抵、時空漂流モノ、ループモノ、マルチサイトモノのいずれかになっているのはこの辺りで受けた影響からかと。
影響、というよりも単に私は好きなんですね。その手の話の作りが。
その後は、グランディアやエターナルアルカディア等のボーイミーツガールなヒロイックファンタジー要素のある作品、そして鋼屋ジン氏のクトゥルフ作品デモンベインとかやや成人向け作品に手を出し、案の定外伝的な古橋秀之氏のノベライズも読んだりしていく中で、私だって書き手として一つの世界観を書いてみたいと思ったわけです。
(端折りましたが、この間に下級生をはじめ、当時の王道学園モノなギャルゲーにはまってみたりもしたものです。)
絵も描いて、音楽もつけて、自ら演奏し歌い、そして小説も書く。シェアワールドとして、ゆくゆくはマンガ化、アニメ化、ゲーム化、映画化ってくらいのことまで本気で考えるほどに。歌手も声優も俳優も全部一人でやりたかった。
しかしですよ、当然自らの成長と共に、自分の能力値はだんだんこんなもんかなーと分かるようになるわけです。
同時に、大人になればなるほど守るべき生活ってものを嫌でも意識して、妥協して望まない仕事をし、時間も体力もお金も自由に使える範囲はいつの間にか減っていく。でもまだこのときは少しだけ希望をもっていました。
そんなあるときゲーム屋さんでアルバイトしていた頃、リメイク版のEVE burst errorとDESIRE、さらには探偵紳士シリーズの存在を知るわけです。
あまり巷ではそれほど評判が良くないようですが、私は一つ好きなものが出来ると関連する全部好き、となる性質なのでむしろ昔の思い出と共に上位作品であることに変わりはありません。
しかしそんなこんなで私は気づいてしまうわけです。
それらの作品は、もうあの頃の剣乃氏は直接関わっていない、あるいは、その当時の菅野ひろゆき氏のみが一人で全てを作り上げたものではないのです。
そんな全盛期の神がかっていた彼が書いた作品に、私は遠く及ばないのは勿論、その簡易版とすら云ってもいいそれらに対してさえ、私はつま先にもたどり着いていない。
気づくのが遅いですね。それだけ私は当時純粋まっすぐだったわけです。
所詮私が何を書いても、それは誰かのコピーであり、否、むしろコピーの体すらなしていない、単なる汚物でしかないことに気づくわけです。
というわけで私は何らかの職業クリエイターになろう、とした当時の夢はそのとき潰えたわけです。突き抜けて何か夢を追い続けられるというのは、ある種の高度な精神性と根性を持った者だけがたどり着ける境地なんです。
しかし時は流れ、現在、私は再び創作に関わっていたりもしています。
それは昔とは違って、表現の場が圧倒的多数になったことや用意する環境の容易性から、心理的なハードルが下がったことも一因ではあります。
ですがむしろ加齢によって、私自身の考えが変わったということによるものが大きいです。
昔は私はあの菅野氏の完璧さを目指していたわけです。桜庭氏の美しさを目指していたわけです。鋼屋氏の重厚さを目指していたわけです。古橋氏の意外さを目指していたわけです。
エルフ下級生の蛭田氏、グランディア2を作ったゲームアーツや、エタアルを作ったオーバーワークス、そこに関わった全てのスタッフの方々は私の神であり、悩み多き青春期の恩人であり、天上人です。
数多作品を世に作り出し、果てはそれらに囲まれ、自らが二次元の住人となる。
しかし、私はその能力はないのです。劣化コピーすら作れません。
そう、だから私ごときから作り出されるものは、ただの、うんこなんです。
だから、あるときから私は、うんこ製造機でいいじゃないか、と思うようになりました。
それは妥協でも諦めでもなく、本当に別にそれで構わないと思ったわけです。だって私はうんこしか作れないんですから。
もしこの地球にうんこがなかったらどうなりますか。
TOTOもINAXも倒産です。汲み取り屋さんは廃業です。
そうなると、彼らの家族は生活できません。彼らの子供たちもみんな生まれてこなかったかもしれない。
ハエさんも絶滅です。道行くスカトロマニアだって生きていけないことでしょう。
カレー味のうんことうんこ味のカレーどっちがいい?なんていう意味不明な二択も存在すらしていません。
うんこしか作れなくても、それを欲している人もいる。それしか好きになれない人もいる。
だからこそ、今私は別の世界を主戦場として生きていますが、今日も、これからも、この地球上の誰か、未来の誰かのために、マイペースにひっそりと、書き続けようと思います。