よつまお

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トモダチがいないいない病1

以前にも再三言及していますが、私には友人がいません。
勿論ほんの知り合いや顔見知り程度ならいますし、この広いネットの海のなかでなぜか大局的に同じ目的を目指して繋がりを持っている方もいる。
しかし、突発的に何処かへ共に遊びにいくとか何気ない会話を楽しむという、世間一般での意味のトモダチという存在はほぼ皆無といってもいい。
悩み多き思春期真っ只中においては、それをコンプレックスに感じて、うわべだけの関係性を随分と重ねてきてしまったし、社会に出てからも振り返れば実に薄っぺらい人脈作りに意識的に熱を入れていたものです。
でもあるときそれが全部全部嫌になって、ことごとく自らそれらの関係を全て断ち切りました。
おそらくその中にはごくわずか私にある程度きちんと接していてくれた方もいただろうし、突然の音信不通に心配した方もいると思うので、今となっては申し訳ない気持ちになったりもします。
その同時期、私は一人旅に出ます。俗に云うスイーツ()な自分探しってやつです。
いままでもあった一人の時間がより多くなるなかで、私はあることに気付きます。
それは私は心底寂しがり屋だということです。これは多分人間誰でも持ち合わせている部分だと思いますが、それが社会というモノを断って一人で全てをまかなおうとすると、否が応でも必要以上に意識してしまう。
さらには私は仲間や戦友が欲しかったのだと気付きます。
これは何かひとつのものを真っ直ぐに共に目指すことができる、青春ドラマでありがちな下らない青臭いあんな感じの関係性。
そこで得られる思い出や趣味も全てを共有して、分かち合うことのできるそんな永続的とも見える関係性。
しかしそんなものはこの世の中に残念ながらありません。
育ってきた環境も立場も何もかもまるで違う人々が社会にはひしめき合っています。
なのに私は友人になる人へ、そんなありもしない上記のような価値観を押し付けていたわけです。上手くいくはずもありません。
そりゃ昔の本やゲームやスポーツやテレビ、音楽など、全てがまるで一緒に体験したかのように話せれば、それはそれは楽しいし有意義でしょう。
しかし、そんなものはないのです。
誰かの好き嫌いをまるでテレパシーのように感じとり、その人の望むようなモノや環境を提供してくれる人はいない。
心理学的に云えば、魔法の杖を持った人、はいないのです。
こちらが何かを伝えなければ当たり前ですが相手には何も伝わりません。
そして、時には自ら動かなければ何も変わらないこともあります。
待っていれば何かが手に入るシンデレラではないのです。
これらを心底考え抜いた結果、私は少し楽になりました。
そもそもあるはずのない関係が私の理想だし、本来思春期に捨て去るべき幻想を私は抱いたままなだけなのです。
ならば、私には友人作りは向いていない、あるいは友人すら必要ないだけなのです。
他人からはそれを諦めとか淋しいとか思われがちですが、私自身そんな感情はとうの昔に悩みぬいて出した結論です。
だから別にこの歳になって特に不便も不満も感じていません。もちろん時に街中でリア充的な過ごし方をみると、ある種の酸っぱいブドウ的な感情がわずかに込み上げてきたりもしますが。
トモダチがいない、なんていうのはむしろ今や自虐的なステータスだったりもする世の中になりました。
ようやく時代が私に追い付いてきたようです。
ですがいつの世も、人である以上、孤独感はつきまとうもの。それを解消するために娯楽や創作がある。
ならば私がそれを提供しよう、これが今の私の原動力です。
私が描くうんこ作品が、または私ひとり黙々と行っている思い出を売るという商売が、時に誰かのルサンチマンを打ち消すことだってあるはずです。
そんな世界をこれからも私はこのネット空間に作り続けていきたい。