当時所属していたもう一つの同人団体への初投稿作品。
所属タイミング的に冊子の入稿に間に合いそうに無かったのだが、既定より少ない文章量でもよいとのことで、急ぎで書いたものだ。
セルフレビュー
そのせいか、若干私のいまの文体とは違う印象を受ける。
誰もが一度は考える自分自身の歩き方。
この時の当時の私の表現を、今も忘れてはいけないなと考えさせてくれる文章だ。
思い出探索記
私は思い出作りが下手になった。
幼い頃は一日一日が奇想天外な出来事の連続で、一分一秒が心に刻まれていった。
それが今はどうだろう。今このひと時の思い出が胸の中にあるだろうか。
何も無い。これが大人になるということなら、それを受け入れ諦めるのが普通だろう。
だが今の私はそれを是としなかった。
想像力にあふれていた当時と比べ、何が今の自分に欠けているのかを見つけるべく、久しぶりに実家に帰ってみた。
私の母は「ムダな物は捨てること」を美徳としている人だが、私の私物がそのままに保たれていた。まるで奇跡を垣間見た気分になる。反抗期には散々ぶつかり合ったものだが、これには感謝感激雨アラレだ。
古びた学習机の中をかき回し、私は小学校の頃の卒業アルバムを見つけた。
普段は自分の写真を撮ることも見ることも大嫌いなのだが、このアルバムの中の文集部分に何かヒントがあるかもしれない。
…変な顔だ。何たる不幸か強運かアルバムのページをめくった瞬間に、自分の幼き頃の写真を見つけてしまった。
ニキビが出始めた頃のこんな顔で撮るくらいなら、まだ今の自分の方がいささかイケメン?に見えることだろう。…気を取り直そう。
当時好きだった女の子の写真に見とれて思いを馳せるなど、幾多の試練に打ち勝ち、ようやく目的のページにたどり着いた。
そこには幼い字で将来の夢が書いてある。
「サラリーマン」
ああ、なんと夢の無いことか。しかも大人になったらスーツを着て、父のような七三の髪型にするとでもいうのか。
待て待て、組織からの開放、自由な個性を夢見る今とは真逆の夢じゃないか。
だが反面、私は妙に納得してしまっていた。
私は昔から父に憧れていたのだ。
いつか私も仕事を極め、暖かい家庭を持ち子を育てる。それが当たり前だと思っていた。だが、それが実は世間では非常に困難なことだとわかるのは、もっと後の話だ。
だから私は、あえて「全く違う道」を歩んで、いつか親を超えてやろうと誓った。その気持ちは今も変わることは無い。
なんだ、私は今、この瞬間も挑戦し続ける奇抜な毎日を送っているじゃないか。
世間の価値観に反抗し、既存のやり方に反逆し、日々生活してきていること自体が今の私の大切な思い出なのだ。
この考えが若さゆえの過ちなのか、それともいずれ華咲く芽なのかわからない。
とりあえず今回のアルバム発掘作業をもって、思い出作りのヒント探しはお終いだ。
今はこうやって思いを巡らせ、文字にすることも思い出に成り得るのだから。