よつまお

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ウェブラジヲ 「ハチロク世代の逆襲」~いじめ問題から考える日本社会の思考の盲点~

まず、何をやってもいじめはなくならないよなぁというのが私の考え方。
ただmaftyさんの云う厳罰化なりは理解できるのだけど、おそらく子供なりの無意識の残酷さっていうのかな、その辺りは大して止められないんじゃないかぁと思う。
私も当たり前にあるレベルのいじめというものを受けた身としては、あれが当時何らかの罰則があるからといって止まっただろうかと考えると疑問かな。
むしろモラル教育って観点から言うと、いじめっていう言葉でぼやかしているのが、ある意味物事を軽く考えさせてしまうっていう部分は否定できない。
同様の例で言えば、万引きも円光もね。それは窃盗であるし、売春だぞ。と。
言霊論になってしまうけれど、その行為を定義する言葉の重みっていう部分で、ふと立ち止まることが出来るっていう面はあるかもしれないね。とはいえ、そう云った言葉の言い換えが、ひとつの日本文化と言えなくはないけど。
別の動画で言及されていたけど、結局いじめは学校という教育、教師、それらの存在全て自体による構造問題と捉えるべきなんだろうね。
言い換えれば、管理教育が主の高校からさえ巣立てば勝手に人はいじめをしなくなるじゃん、と。
しかしまぁ、これがどこかの組織に所属するとまた人によってはいじめ的な現象を経験したりも少なからずあるわけで、生保問題と同様に弱者をとことんいびってやろうっていうのは、もう日本人全員の性格がわりーし下らねーからなんじゃね?wっていう結論に達してしまうんだよなぁ。
政治でも何にしても大局を見ればいいものを、ちっちゃい所をつつきまくるっていうね。これはもう国民性かもしれないよ。。