(約6,000文字) なんかさぁ、ちょいちょい今までもいわゆる「引き寄せの法則」ってやつを目にしたことはあるけどさ、結構アレを信じてる人いるんだねぇ、、
それこそtwitterなどのSNSやネット上で成功体験を語る人たちは、その法則にのっとって実践しているご様子。
いや、別に「信じる」って行為自体は否定しないよ。そして夢を見ることも否定しない。
私だって自分は「いつか山奥に封印された伝説の剣を引き抜ける勇者」って信じてるし。
でもそれが実際に現実世界で成し遂げられるかどうかは話が別。そしてそれが「科学」なのかどうかはもっと別な話なわけよ。
そもそも引き寄せの法則って何?
これさぁ、なんか唱えてる論者によって定義がまちまちなのよw
もうその時点で科学なのか?wって話になってくるんだけど。
例えばざっくりとした「引き寄せ」ってやつを野球で例えてみようか。
とあるイチロー君の例
ここに小学生のイチロー君がいる。
イチロー君はゲームが欲しかった。欲しくて欲しくてたまらなかった。友達はみんなゲームに夢中だ。
けれど家が貧乏だったのでゲームを買ってもらえなかった。だからいつかゲームを自分で買うために、好きなことを見つけて成功しようと考えた。
そこでまずイチロー君は道端の石ころと木の棒を拾って、石を棒で打ってみるという一人遊びを考え出した。
来る日も来る日も、石を棒で遠くに飛ばしていたら、やがて楽しくなってきた。そしてこの遊びが好きになってきた。もっと上手くなりたいと思った。
すると友達が徐々にこの遊びに興味を示してきた。そこで自分たちでルールを考えて、毎日試合をするようになった。
ある日その光景を見たひとりの大人が「ボールとバットとグローブ」を買ってくれて、「野球」というスポーツのルールを教えてくれた。
イチロー君は誰よりも野球に熱中し、誰よりも練習し、そして誰よりも上手くなった。
やがて「ある日の大人」に誘われ、イチロー君は「野球選手」になった。
そしてついに、あの日欲しかった「ゲーム」を買うことができましたとさ。
、、、っていう感じ?
これをざっとまとめれば、
自分が目的や成功を意識して行動したら、徐々に人や環境をまるで「引き寄せ」たかのように自己実現することができた、って話になる。(端的に言えば類は友を呼ぶ的な?)
でもこれってさ、、「科学」じゃなくね?
成功までに何が起きたのか?
イチロー君は、欲しいものを手に入れるために好きなことを見つけようとして、
たまたまそれが見つかり、たまたま適性(才能)があり、たゆまぬ努力の結果、たまたま成功して欲しいものを手に入れた。
このお話は、それ以上でも以下でもないよね?
なんかね、この引き寄せの法則がはびこる背景って、成功過程での「たまたま」=「運」ってものを認めたくない(あるいは一見地味に「見える」努力を嫌う)人たちがいるっぽいんだよね。
これが偉人のマザーテレサでも、ウォルトディズニーでも、そこらの大企業の社長でもあっても、運の要素は決して排除しきれない。結果論。
成功者にとって、才能をいかんなく発揮できる運=ラッキーと、それを実現できる社会情勢等々の機会=チャンスの影響は大きいわけよ。
ここに「科学」を結び付けるおかしさ
もうさぁ、あの手この手で、カタカナ用語を多用して科学「っぽく」説明がなされているんだけどね。
なんかポストモダンの頃の疑似科学を思い出すようだよw 何回繰り返すのこの流れw
っていうか、なぜ引き寄せ「信者」(とあえて表現する)はただ信じるだけじゃ足りないの?別に私はそう信じています、でいいじゃんと。
そこに科学なんかを結び付けないと、何かやましい思いになるんですか?と。何かに根拠を求めないと自分の信奉心が揺らぐんですか?と。
別にスピリチュアルな世界を信奉している人自体は否定しないよ。
でもそれはアナタの精神世界の中だけの話であって、それが物理世界に影響を及ぼすってのは論理の飛躍以外の何物でもない。
引き寄せの法則は脳科学?
もうね、そもそもこの脳科学ってもの自体が結構抽象度の高い分野に片足突っ込んじゃってる所はあってさ、それこそ「クオリア」なんて半分哲学の世界ですよ。
ただ引き寄せに関して、少なくとも脳科学と結び付けている記述を見てみると、はっきり言ってどれもポジティブシンキングの延長線上の話。
確かにそういった前向きな考え方や自己暗示とかによって、自らの行動さえも大きく影響を及ぼされることは否定しない。
前述のイチロー君だって、「あぁどうせ上手くならないや、てか野球なんて大っ嫌いだわー」って思いながらプロ野球選手になれたかどうかは甚だ疑問。
でもそれは最終的には、素質のある者同士の「闘い」の中でこそ真価が問われるもの。
例えばよくスポーツのインタビューだと、試合後の選手が「気持ちでやりました!」などと答えている場合があるけれど、
それは確固たる技術と日々の努力があった上で、同格の者同士が死闘を繰り広げているときに、最後に精神力が勝った、というだけの話。
気持ちだけでどうにかなるのなら、みんなプロのスポーツ選手になっているでしょ。
っていうかさ、いまもこの世界にどこかで飢餓や差別や戦争に苦しむ人たちは、その「思い」だけで何か変えることって出来るんですかね?
そういう人は今のままでいたい、なんてそうそう思わないでしょ。目の前の悲劇が止むことを、打破することを懸命に思い、行動しているでしょうよ。
そういった人たちの成功の可能性がゼロとは決して言わないよ、でもそれはかなり確率的に低いんじゃね?(マンデラ大統領やキング牧師など、希有な才覚を発揮する人たちはいるけどね)
っていうか絶望的な状況にいながら、希望を持て!なんてそもそも多くの人々にとって無茶な話。
結局のところ、「引き寄せ」なんて言ってる人たちは、既に自分たちが「最低限の安全」とかが確保されたベース上にいるわけよ。
つまりそれさえままならない人たちと比べて、「とりあえず死なない」っていうそもそも有利なスタート位置にいることを分かってないんじゃないかな。
そりゃ前述の絶望的な状況にいる人よりも、思い「だけ」で成功する可能性は当然上がるよねってこと。
というかね、もしプラスにしてもマイナスにしても「思い」が現実世界に影響を及ぼすというのなら、この世で「呪い」ってものの存在を認めることにすらなるよ?
でも有史以降、この地球上で数多の殺戮や虐殺が巻き起こってきたけど、明確に「呪殺」って出来た試しがある?
「独裁者は最終的に天罰を受けて政権を打倒されましたー(棒」的な曖昧な結果なんていらないんだよ。
きっと被害者側は強く強く明確に呪いを思ったはず。行動もしたはず。でもそれが叶ってなんかいない。
あれこれ脳科学だとか理由づけたところで、所詮「思い」は物理世界に影響及ぼせてないよねって話。
引き寄せの法則は量子力学?
まだ先述の脳科学に結び付けたい気持ちは、ギリギリ理解できないこともない。
でもこの「引き寄せ=量子論」はマジで無い。あり得ない。誤謬もいいところ。
もしポストモダンの頃にこんなこと言われてたら、アランソーカルは一体なんて言うだろうなぁw
引き寄せに関連するとして、量子論から多く引き合いに出されている部分は、
いわゆる「粒子の波動性(逆に言えば波動の粒子性)」つまり「波動と粒子の二重性」への言及。
まずこれを大雑把に説明しちゃうと、誰もが科学で習った「電子」は粒でもあり波でもあるんだぜ、という話。
そしてその電子を観測していないときは、位置が確率的にしか分からなくて、観測したときに初めてそれが粒子として確定されるということ。(コペンハーゲン解釈)
これを聞くと大抵「ふーん、で?」で終わるんだけど、実はここには現実的にはあり得ない大きな問題があるわけよ。
例えば、この記事が映し出されている目の前の「デバイス画面」は確かに存在する。でもその画面もどんどん小さくしていくと構成要素はただの粒(電子)。
先述の解釈によれば、粒子は不確定な存在なはず。なのにいまここで記事が表示されている「画面」はなぜ存在しているのか?
。。これはつまり、人間が観測することによって初めて物質の存在は確定するんだ!
なんだってーー!?(AA略
、、ということを言い出しちゃうともはや「人間原理」になっちゃうので、ダメw
少なくともコペンハーゲン解釈では、観測していないとき(肉眼だろうがセンサーだろうが)のことはそれ以上分からん、ってことを言っているにすぎない。
もし観測を是とする真っ当な物理学者の人に、「電子は波なんですか?粒子なんですか?っていうか観測していないときはどうなってるんですか?」
と聞いたところで、普通は「粒子でもあり波でもある。位置なんて確率的にしか分からん」という答えしか返ってこないと思うよ。
だから観測しようのない電子の真の姿がどうなっているか?なんてもはや科学の分野じゃないわけよ。
(そんなわけあるか!あるもんはあるやろ!で皮肉られたのが、思考実験で有名なシュレディンガーの猫ちゃん)
さて、ようやく本題。一体これがどのように引き寄せの法則に利用されているか?
差異はあるけれど、大体は以下のような感じ。
「あらゆる物質は観測によって存在が確定される=よって強く具体的に思えば物質に影響を及ぼし夢も実現する!」
、、もうね、馬鹿かと。量子力学をそんなことに使わないでくれないかな。。
っていうか気づけよ、前述の「コペンハーゲン解釈」は所詮「解釈」としか言っていないことを。(同じ解釈で言えば、多世界解釈だって成り立つしw)
粒子の世界では感覚的には実に不思議な振る舞いが起きているんだけど、それがこの世の「真理」だとは科学者たちは一言も言ってない。
観測できないことは分からん!でもその際にこの波動関数使うと便利だし簡単に予測できるよ!程度しか言ってない。
もし引き寄せの法則一派が、自分たちが科学だというなら、ぜひそれを科学的な手段で証明してくれないかなぁ?余裕で人類史上に残る発見だし、ノーベル賞クラスだから。
まぁ無理だけどね、だって人間には観測の限界があるもの。
なんかね、この量子力学の不思議(っぽく思えること)を自分たちの理論(?)に利用しようって魂胆が見え見えで、実にアホらしいのよ。
そもそも「観測」って行為は機械(無機物)だって成り立つ。いや別に動物だって虫だってなんだっていい。
なのに、なんでそれら多数の「観測」以上に、人間が「思う」っていう意思が優先的に物理現象に影響するんですかね?もうおこがましいにも程があるんだよ。
論点は外れるけれど、同じ「量子」がつくテーマで言えば、「量子テレポーテーション」も似たような感じで疑似科学に利用されることがある。
「テレポーテーション」と言われると何かすごいことのように感じて、いわゆる「超光速」かのように誤解されるんだけどね。
これは細かいことを抜きにして大まかに説明すると以下のような感じ。
目の前に二つ箱があります。ボールが一個だけあります。どちらかの箱にボールを入れて、もう一方を地球の裏側に運んでいきます。
さて、目の前の箱にはボールが入っているでしょうか?(観測していないから分からない。量子もつれ状態)
さて、開けました。するとボールはありません。ということは地球の裏側の箱にボールが入っているということになります。(量子テレポーテーション)
、、ってこんな感じの話なんだよ。
目の前の箱からもう一方にボールが一瞬でワープしたわけじゃないよね?
でも一つの箱を開けるだけで、どんなに離れた場所であっても同時に二つの箱の中の状態が分かるよね、ってだけの話。
量子の二重性にしろ、量子もつれにしろ、言葉から感じ取れる神秘性に惑わされちゃダメってこと。(ポストモダンのクラインの壺じゃねーんだからw)
引き寄せの法則の危険性
別にそれを信じてます!とか、科学です!っていうこと自体がマジ危険ってわけではなくて、
むしろ本当に気を付けなければならないのは、いわゆる「望めば叶う」という思想。
それは成功した=「ファクターの一つとして」望んで努力したから、であって、逆は成り立たないんだよね。因果を逆にしちゃいけない。
というか努力や思いと成功の間に相関傾向があったとしても、それは決して因果ではないわけよ。
(強く思って努力した=成功者になる、は必ずしも成立しない)
これを変に曲解してしまうと、仮に努力しても、強く思っても成功しなかった場合に、本人的には非常に報われない気持ちになる。
大人が夢を見せること自体は否定しないけれど、その夢に「踊らされてしまう」若者を量産するべきではないと思うわけ。
もし引き寄せを強く信じて実践したのにもかかわらず、運悪く失敗した人に向けて、引き寄せ一派は何と言うのか?
どうせ「思いが足りない。行動が足りない」とか言うんだろうなーと。
そして引き寄せを信じた(=自分たちを信じてくれた)人へ責任は取らないんだろうなーと思うわけよ。
引き寄せの法則のホントウの正体
人間の意識の持ちようが全く無意味とは言わないよ。
でもそれが万能かのように言うのはやりすぎ。そして宇宙の法則、科学だとするのは詐欺やエセ宗教と何ら変わらない。
ていうか、何もない真っ白な空間で、強く願って懸命に行動した結果、何が起きるのか思考実験してみてよ。たぶん何も起こらないし、何も出来ないからw (魔人ブウみたいに次元に穴は開けられないよw)
周囲に用意された環境とそれに見合ったチャンスをたまたま掴む方が何より大きいということ。
2019年3月、現実世界のメジャーリーガーのイチロー選手は引退を発表したよね。
おそらく野球に詳しくない人でも名前くらいは知っている、そして数々の記録から言っても史上稀に見る大天才だし、スーパースターだし、成功者の一人だ。
でも先述の「イチロー君」が、「気持ちや思いや意識」を強く持って行動しても、
決して「世界のイチロー」になれるとは限らない。この世で誰よりも強く思って、誰よりも行動したとしても、だ。
ごくごく当たり前に頭で考えれば分かることを、「引き寄せの法則」なんて魔法の言葉で惑わされないでほしい。
そんなことより、まずは当たり前のことからやっていこうよ、って話。退屈だけどね、そういうのは。一足飛びに駆け上がりたい気持ちは分かる。
地道って言葉が嫌われる時代だけれど、少なくとも「世界のイチロー」は地道に堅実に野球に必要なことをやってきた人なわけよ。
だから安易に「引き寄せ~」なんて言わないで、自分が望む環境を手に入れたり、望む成功を収めるために一体何が必要なのか、もっと頭でよく考えて行動した方が有意義なんじゃないかな。