ある男が一人の女性に恋をした。彼女は、コミュニティの中で誰もが憧れる高嶺の花だ。
対する男はいわゆるコミュ障の非モテ。一体どうして彼女と釣り合うというのか。
しかし彼は、自らの恋心と言う名の衝動を抑えることが出来なかった。
彼は玉砕覚悟で女性に告白をする。だが結果は当然言わずもがな。
そのとき彼女は、男に対してある条件を出した。
「貴方が999人の女性とお付き合いできたら、1000人目として付き合ってあげる」
これは十中八九、彼を馬鹿にした皮肉に過ぎない。ところが彼は実にピュアだった。
彼女の条件をクリアするために、必死に努力した。
大抵の場合、ヒトがモテない理由の多くは、見た目の垢ぬけなさであったり、コミュニケーション能力が足りないなど、単に機会の損失をしているだけだったりする。
彼は、憧れの女性に少しでも近づくために、相応しい男になるために、ただただ自分を磨き、そして片っ端から女性に告白し、付き合った。
だが付き合うというのは、そもそもどういった定義なのか。
付き合ってください→ハイ。こんな不毛な繰り返しを999回、色々な女性とすればよいだけのか。
いや、違うだろう。男は真摯だった。
1人の女性を好きになり、共に日々を過ごし、そして愛し、やがて別れが来る。それが付き合うという行為の一連なはずだ。
そうやってどれほどの歳月が経っただろうか。彼はいよいよ998人目との別れを経験した。
あと、1人。たった1人付き合うだけで、もう一度やっと彼女に会うことが出来る。
そんな彼の前に、突然彼女は現れた。
「好きになりました。付き合ってください」
彼は一瞬言葉を失った。そして同時に彼女の言葉を疑った。きっと試されているに違いないのだ。
これは罠だ。ここで付き合ってしまえば、今までの努力と時間が水の泡。しかし、毎日夢にまで見た光景が目の前に広がっている。
彼は思考する。数学では、9.999…は1と同義だ。であれば999人目の彼女は、もはや1000人目と同じなのではないか。いやいや、それはさすがにこじつけだ。
自問自答を繰り返す彼に、名案が浮かぶ。
ヒトの細胞は日々入れ替わっていく。1年もすれば、きっと多くの細胞は新陳代謝されていることだろう。
つまり、いまの彼女は哲学的には、1年後の彼女と同じとは言い切れない。
彼は1度彼女と付き合って、そしてひとまず1年後に別れ、新たに「1000人目の彼女」に告白しようと考えた。
それからは、とても幸せな日々だった。だがタイムリミットは刻一刻と近づいてく。
そして間もなく1年。
彼は優しい人だった。今まで付き合った女性に対しても、自ら決して別れを切り出さなかった。
それでも別れるには嫌われなければならない。つまりそれはモテることの反対をすればいいのだ。
格好を不潔にしたり、性格をだらしなくしたり、貧乏なふりをしたり。そうしていくと、ほとんど女性から嫌われて、自然と別れを告げられる。
彼は彼女に対して、今までしてきたことと同じように嫌われるための努力をした。
ところが。彼女は一向に自分を嫌いになってくれなかった。むしろ男を懸命に支えようとさえしてくれたのだ。彼は次第にココロが苦しくなった。
そしてあの付き合った日からきっかり1年。今までのすべての考えを彼女に伝え、一旦別れてくれるように頭を下げた。
彼女は激怒した。そして二人は別れることになった。
「よし、やったぞ! これでキミにもう一度告白できる!」
それを口にした刹那。彼は頬に強い痛みを感じた。そしてうっすら涙を浮かべて去っていく彼女を、ただ茫然と見ていることしかできなかった。
男は以来、1000人もの女性のココロをもてあそんだ遊び人としてコミュニティから疎外された。きっと彼女が言いふらしたに違いない。
男は思う。違う、999人だ。1000人目は、「憧れの彼女」になるはずだった。
そもそも1000人の女性と付き合うとなぜ遊んでいると思われるのか。常に自分は真剣だった。
では、300人ならどうなんだ? 仮に10人ならいいのか? どうして自分だけこんなにも非難されなければいけないのか。
彼はその境目の曖昧さを嘆きながら、孤独な時間を過ごすことになった。
男は、本当に"悪いヒト"だったのだろうか。一体、ヒトは"何人目"で変わったと呼べるのだろうか。