四方山話シリーズ。
夢ってのはいくつになっても抱いていいものだと思ってる。
私だって未だに自分のことを、いつか山奥の秘境にある伝説の剣を抜ける勇者だと思ってる。
とはいえ一方で、少なくとも「大人たちが見せる(魅せる)輝かしい世界」は、時に「若者たちにとって残酷な結末」を生むこともあるんじゃないか?って話。
そしてひいては、その責任はやはり「夢を見せた」側だって少しは意識したほうがいいんじゃないか?って話。
ここで唐突な自分語り
例えば、私がまだ夢見る少女だったような10代の頃、世の中には「カリスマ美容師」なる言葉が誕生していた。
お昼の情報番組「ジャスト」ではそんな人気の美容師やメークアップアーティストを取り上げたコンテンツも組まれ、ドラマではあのキムタクの「ビューティフルライフ」も放送されたそんな時代。
当然それに感化された若者たちは、美容師を目指すことが多かった。これは主観的な話ではなく、専門学校の関係者でさえそういったTVや雑誌の特集の影響を口にするほどだ。
しかし現在。その時、美容師を夢見た若者たちは一体どこに消えていってしまったのだろうか?
もう少し時代を遡れば、「ASAYAN」というオーディション番組も一世を風靡した。
しかし現在。あの時、歌手やアイドルを夢見た若者たちは一体どこに消えていってしまったのだろうか?
「失敗は糧になる」の無責任さ
確かに、大人たちが魅せる都合のいいキレイな世界の夢、それを安易に盲信しまったのはいわゆる「甘さ」であり「若さゆえの過ち」だろう。
だが逆にその「失敗を糧にして」後に別の世界で成功を収めた人もいるだろう。
他方で、失敗したまま、レールを外れたまま、這い上がれない人もいるのではないだろうか?
この世の中は弱肉強食。成功者は一握り。自分の希望通りにならないことは山ほどある。日々挑戦者は競争を繰り返し、圧倒的多数の負け組の上に、この世の中は作られている。
だが「魅せられた若者たち」は本当に淘汰されるべき存在だったのだろうか?夢を目指したのは果たして本当に自己責任なのだろうか?
時代はいつも繰り返す
過去、現代、そして未来。これからも変わらず同じようなことが繰り返されるのだろう。
いや、またすでに始まっているのかもしれない。
ダンスというコンテンツが必修化されたことによって、そして昨今のダンスボーカルユニットの活躍をみて、その世界に果敢に飛び込む若者も多く存在するだろう。
そしてカラオケというコンテンツが老若男女に定着し、昨今は再びカラオケの上手さを競うTV番組も復活するようになってきた。また歌手やアイドルになりたい人も増えていくことだろう。
憧れとは、確かに夢をかなえる強いエネルギーだ。と同時にこの世の中には努力だけではどうにもならない、才能の壁は存在する。
さらにタチの悪いことに、成功とは「運」にすら左右される。そしてその運は、才能すら邪魔をする。
どうかこれからも悲劇を繰り返さないために、少しでも「夢を見せた(魅せる)大人」側の在り方を今一度考えてみるべきではないだろうか。