よつまお

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勇気のカケラは味に舞う

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Self Review

 

食の記憶に対するコンペ用のエッセイである。

若干のフィクション部分を加えているが、非常にリズムよくまとめることが出来たと思う。

 

しかしながら、ページ数制限があったのでどうしてもカットせざるをえない部分があったのが残念である。

 

加えて、終盤部分と結びが急ぎ足になってしまったものの、今ひとつ面白みにかけるのもまた事実だ。

ある意味王道的ではあるのだが、ノンフィクションにフィクションを交えた際に、どこまで独創性を出せるのかが、今後の課題である。

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   勇気のカケラは味に舞う

 

もう数ヶ月前になるだろうか。二十代も佳境に差し掛かった頃。私は翌日に手術を控え、不安に苛まれていた。

 

こう書くと実に大袈裟になるのだが、簡単に言ってしまえば「親不知の抜歯」である。

 

私の場合、虫歯に侵された親不知が歯茎に九割潜ったまま真横に生えており、それを抜くためには歯茎を切開し、骨を削らなければならなかったのだ。いま改めて思い出すだけでも鮮明に痛みが蘇る。

 

術後は当然しばらくの間、大口開けて満足に食事は出来ないと事前に聞かされていた。これは食べ盛りの若者にとって大問題である。

 

私はその手術前夜、最後の晩餐宜しく、街中で夕飯のアテを探し回っていた。

 

仕事で疲れた果てた足が、思わず向かうところは「いつもの場所」である。

 

通い慣れた小さな個人食堂。さすがに「いつもの!」と注文するだけで私専用の献立は出てこないのだが、それでも私はその食堂を独り営むおばさんの気さくな人柄と、和風メインにこだわった手料理の味に惚れていた。

 

食堂の席に着き、手元のお品書きをボーっと眺めていると、おばさんが話しかけてくる。

 

「毎晩『唐揚げ定食』ばかりだと胃に悪いよ。新作メニューでも試してみないかい?」

 

不摂生がバレてしまっているようだ。だが、こんな会話も一人暮らしの私には心地良い。

 

ふと、おばさんが指差した先には〝すき焼き牛丼〟の写真が載ったお手製ポスター。

 

私は肉料理が大好物である。迷わずその牛丼を注文することにした。

 

……数分後。店じゅうに割下の匂いをふり撒きながら、私の元にどんぶりが運ばれる。

 

それを一目見て、私はなぜか既視感を覚えていた。見た目は単に、青ネギやシラタキ・豆腐に、出汁醤油を加えて柔らかく煮込まれた牛肉が、ご飯に乗っかっているだけである。

 

どこか違和感を持ちつつも、私は無言でそれにかぶりつく――しっかり目の味が絶妙に美味い……いや、正確には「懐かしい」だ。

 

記憶の彼方から私の思い出を呼び起こす。

 

 そう、これは外見も味も紛れもなく母親が作ってくれた牛丼と同じなのだ。

 

肉嫌いの母に対して、幼い頃の私が牛丼が食べたいと駄々をこねて作ってもらった物にソックリなのである。以降スタミナ食として、事ある毎に食卓によく登場していたものだ。

 

まさか一人孤独な夜に、意図せず「オフクロの味」に再会するとは思わなかった。

息子のピンチは以心伝心、まさに遠く離れて暮らす母に元気づけられた気分であった。

 

翌日、私は麻酔が効かないという状況の中で無事(?)治療を終えることとなる。

 

私自身なかなか忙しく、母とは連絡を取ることさえも疎遠になってしまっているのだが、近々久しぶりに帰省をしようと考えている。

 

とうに抜歯の傷跡は元通りだ。実家に着き、開口一番に私が言う台詞はきっとこれだろう。

 

『また、あの牛丼が食べたい』