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Self Review
所属同人自由テーマ。2014年分先行公開。
1月期規定テーマと同様に、こちらも以前のコンペ作品のリライトになっている。
政治的な主張をまじえつつ、かなりの点で換骨奪胎を目指したがゆえに、雰囲気は原文に比べてだいぶ洗練されたのではないかと思う。
とはいえ、自分の中で結論はほぼ変わっていないのだが、受ける印象は大きく異なってしまっている。
やはりある程度は断定的に書く部分、反対に抽象的に書く部分の調和が難しい。
リライト作業自体にはようやく慣れてきているとは思うが、そういった意味でまだまだ課題は多い。
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一億二千万の歩き方
昨今の新聞・テレビ・雑誌等のマスメディアにて、憲法の在り方、特に改正について開放的に論じられるようになって久しい。
しかし私は、その論調にどうしてもプロパガンダを感じてしまわざるを得ないのだ。
社会人になって間もない頃、私は日本国憲法を読んでいた。動機としては深く語るほどのことではないので割愛する。
まずは前文から粛々と読み進めていく……するといつの間にか事件は起こっていた。
私は気づかぬうちに涙していたのだ。
陳腐な言葉で片付けてしまえば、憲法を読んで感動してしまったのである。――当時の〝不勉強な私〟は。
本来、憲法に向かうときの姿勢とは、今この国や私たち国民にとって何が必要で何が正しい道なのか、を考えることである。
このとき気をつけることは「時と場合、状況や環境に従い、人それぞれ言葉の捉え方は変わってくる」ということである。さらには「与えられた言葉を自分の都合のいいものに捉える」という人間の〝クセ〟があるのだ。
人々は何に共感・反対するのか、何に感動を覚え、何を嘲笑をするのか。
『平和が大事だ、戦争なんてしたくない』
これは確かにその通りである。だが、そのことと憲法を変えるのかどうかは全く別の話である。
〝あのときの私〟は憲法内の美しく着飾った言葉――平和――に反応したのだ。なぜならば〝あのときの私〟を振り返れば、精神的にも経済的にも、私生活すべてにおいて平和ではなかった、ただそれだけの理由である。
憲法に対し、各方面の論壇の主張は多種多様で争いは尽きない。そして現代人の価値観は人によって様々だ。
しかし、普遍的に私たちの誰もが望むことは、平和であり、幸せであり、喜びや楽しさであろう。
これを実現してくれる国に必要なのは、紛れもない全方位での「強さ」である。いくら世界中が国際化していようとも、自分自身を守ってくれる最後の砦は、絶対に自分の住む国以外存在しないのだ。
もし知能の獲得が人類進化の証なら、私たち一人ひとりは生来の言論人なはずである。
果たして既存メディアの言葉だけが本当に正しいのであろうか。そしてそれに反対するのは、単なる少数派と片付けられてしまってよいのだろうか。
答えは否である。鵜呑み・思考停止はいけない。私たちの一人一人が調べ、考え、生きた言葉をより多く紡ぎ、議論し行動し、未来を国を創り変えていくのだ。
そして「何者か」に惑わされない信念を作り上げていくことが、日常や時代の困難に打ち勝つための万能な処方箋となることだろう。