よつまお

過去ログ倉庫を兼ねたライフログ的な雑記ブログ。記事ジャンルにこだわることなく、不定期更新でゆるゆる運営しています。

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【少年よブログを書け】ブログを書くことで得られるたった一つのこと

四方山話シリーズ。

 

結論から言う、ブログとは「自己満足」の他はない。

、、と言っては元も子もないので、ちょっと私的に他では得難いメリットを考えてみる。

 

しかしまぁ、自己満足ってのも大事なのよ。クソ記事でも積み上げていけば、いつかはそれがハエのたかる有機肥料くらいにはなるかもしれないじゃん。

 

思考を言語化するというプロセス

たぶん口には出さなくても、頭の中で日々色々なことを人間って考えてると思う。

 

今日何食べようかなーレベルから、あいつ死ねばいいのに、とかXのn乗+Yのn乗=Zのn乗、このnが3以上の自然数なら解は無いんじゃないか?とか。

 

でも大抵はそれって脳内の思考だけで終わって、ほとんど口に出さずに終わるどころか、紙の余白がないためにどこかに書き留めることもなかったりするわけよ。

 

その点、ブログっていうのは電子的に形に残せる。そしてその容量は実質無制限と言ってもいいくらいのレベル。

 

まったく取り留めのないことであったとしても、ものすごく不格好であったとしても記事としてとりあえず仕上げることによって、

自分が一体その事柄についてどんなことを考え、現在どんなふうに思っているかを可視化できるんだね。

 

つまりそれは自分というもの自体を、自分自身がしっかり理解できることに他ならないわけよ。

 

「書けた」ことは「話す」こともできる

一旦自分の中で確立できた考えってのは、それが間違っているか正解なのか兎も角として、また今後変遷していくかどうかは別として、他者に対して自信をもって発信することができるようになるんだよね。

 

人は基本的には、コミュニケーション抜きには語れない生き物。だから「話す」ことで他者から理解してもらえるようにもなるわけよ。

自分がマイノリティであると思っていても、意外にこの広いネット上には同じことを思っている人が存在していたりするわけ。

 

ちなみにこの場合の「話す」っていうのは別に直接対面で口頭によって、というだけではなくて、文字を介してのコミュニケーションも含む。

逆に、文章として書くことすらできないテーマは、頭の中で理解はしたつもりになっていても、上手く話すことが出来ないと思うんだよね。

 

似たような話をすると、例えば英語においては、スラスラと発音して音読することが出来ない文章は、どんなに早く黙読しようと思っても読めない、もんなんだよ。

つまり頭の中で「言語」として定着していないから、話せないこと=読めないもの、なんだね。逆もまた然り。

 

とまぁここまで言ってなんだけど、やっぱり結局ブログは「自己満足」でいいと思うんだ。

それがいつの日か自分のアルバムとなり、名刺となり、やがて黒歴史になっていくわけよ。そのくらいのスタンスが気楽かな。