よつまお

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【是か非か】死刑制度といわゆる「私刑」を考える【終わらない議論】

四方山話シリーズ。

 

なぜ死刑はダメなのか?逆に、軽いネット炎上から住所特定や嫌がらせまでを含めた「私刑」は許されるのか?

前者はまだしも、後者に関してはこのネット(SNS)全盛の時代で、決して他人事ではないから色々考えてみた。

 

そもそもなぜ死刑は反対されているのか?

・起こり得る冤罪などによって、取り返しがつかないから。

→たぶんこれが最も説得力がある。だからといって死刑だけをなくしても懲役刑の冤罪による「時間的」損失に関してもまた取り返しがつかない。

 

・国際社会では死刑を廃止しているのが主流だから。

→これも良く言われる。でも少し違和感。国際社会がどうあれ、外部的な圧力や同調意識によって、国の制度を変えていくのは果たして健全なのか。

 

・残酷だから。執行者においても苦痛だから。

→いくら方法を工夫したとしても、人が人の人生を決めるということに対する苦痛は理解できる。だが、被害者側が受けた苦痛はどうなる?

 

・加害者にも人権がある。更生の余地(可能性)はある。

→ある、ということ自体は理解できる。でも被害者側の人権はどうなる?

 

といった感じで、少なくとも私はどちらかと言えば廃止には反対的な立場だけど、難しすぎて一概に結論を出せそうにもない。

(以前、廃止派の人物の家族が被害にあったことをきっかけに、一転して賛成派になった例もある。私含め、人の価値観は簡単に変わり得る。)

 

だからこそ、結局「多数決」という発想で決めていかざるを得ないのだろうなぁと思う。副次的に、一人一人の決定の責任を分散できるから。

ただし、その時の世論やポピュリズムの影響を受けやすいのがネックだが。

 

では「私刑」についてはどう扱うべきか?

これについては明確に反対。復讐権が認められている世の中ならまだしも、起こり得る「終わらない復讐の連鎖」を止めるためにも、その役目は国(司法権)が代理して背負うべきだから。

 

そもそも、警察とか司法が裁きを下さないのであれば、自分たちが!というような崇高(?)な理想を持った人も一定数いるとは思うが、たいていは「お祭り騒ぎ」に便乗して日々のストレスを発散したいがための行為。

 

確かにネット炎上「した側」の中には、冗談やいたずらで済まないような本当に悪質なものも含まれている。

かと言って、それが悪質なのかどうか、どんな報いを受けさせるべきか、というのは現状は人それぞれの主観と、その時によって多様に変遷しうる価値観、そして顔の見えない匿名の不特定多数間における合意、によってのみ判断されている。

 

ここに少なくとも「刑」としては違和感を覚える。「私刑」自体が罰せられることはなくても、その行為が生み出した結果が逆に罪に問われることは十分にある。

だからそんな不安定なものを「刑」として確立すべきではないということ。

 

結局のところ何を言いたいかって、「政争」ばっかりに明け暮れてないで、もっともっときちんと法整備していこうよって話。