よつまお

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トモダチがいないいない病2

さて、友達いない自慢、あるいは孤独感自慢であれば、私の右にでるものはそうそういない、というか地域上位ランカーにくらいにはなると思うのです。
しかし少なくともこうやってそれを何処かへ吐露できるだけ、自分のメンタリティはある程度まだ健全に保たれているのだろうなと思うのですが、問題は独りそれを抱えて塞ぎこんでしまうタイプの人もいるということ。
これはもはや性格的な面や年齢にもよるのかもしれませんが、やはりその悩みにある時期苛まれた経験者として何か手を差しのべることは出来ないかなと常々思ったりします。
これはモテ・非モテあるいはスクールカーストやいじめ問題にも絡みますが、孤独で構わない、あるいはそれに居心地のよさを感じることさえできていれば、最初からそのようなトラブルにも巻き込まれにくい側面があります。
しかしSNS的な即時性のあるコミュニケーションを求められることが多くなりつつある現代において、若者にそれを一切断ち切れというのもまた難しい話です。
これは誰しも大人ならば理解できることだと思いますが、子供~若者の精神発達においては大きく二段階の世界観構築のプロセスがあります。
幼年期~少年期は、自分の行動範囲・認識範囲が加速度的に広がります。ゆえに、最初は自らの世界との境界さえ曖昧だったものが、いまこの私が認識しているものだけが世界でありそれが全てだ、と思うようになります。
次に少年期~青年期は、これが全てだ、と思っていた行動・認識範囲が更に広がることで、一旦過去の自らの幼稚さを省みるのですが、それと共に今度こそこれが全てだ、と思い込みます。
一度反省を経ることで、ここで自分が所謂大人になったようにより強く感じるわけです。
それだけならまだしも、この時期はそこに善悪というか良悪の価値観判断がプラスされます。
私の知っている世界が全てで、これこそが最も良いものだ、と感じるわけです。
ですから、この時期の若者たちに大人が何を言ったところで無意味であることは想像に難くないですが、大抵それは壮年期までの間に、そんなことなかったな自分は青かったなと自省する機会が与えられるものです。
しかし世の中には、その自らの世界認識と善悪判断が一切曲がることなく、大人になってしまうケースがあります。
これは環境のせいなのか、あるいは遺伝的なものなのか分かりません。
ですが少なくとも、そのように育った人は周りの人々を全て、所謂魔法の杖だと思い込むパターンがあります。
当たり前ですね、自分の思い通りになるのが当然で、それが皆も良いと感じるはずだ、思い込んでいるわけです。
ところが、現実はそんなに甘くなく、自分の意図通りに進むことは稀です。そんなときに彼らはどうするか。
魔法の杖をへし折るのです。
そもそもあれは魔法の杖なんかではなかった、という判断です。そこで魔法の杖など無かったなとなるとよいのですが、また懲りずに次の魔法の杖探しが繰り返されたりします。
この過程の間に起きる価値観判断を軸にしたトラブルが、スクールカーストやいじめ、あるいはDVやパワハラにさえも密接に関係している部分があります。
さて、加害側にはKOFの庵よろしく、そのままタヒね、とだけ言ってやればいいのですが、被害側は何とか救うことは出来ないのでしょうか。
そもそもこれが全てだ、と思い込んでいる若者に、学校やトモダチ以外にいいことあるぜ、と言ったところで無効果に近い。
私のような変わり者として心境が変異するのを待つか、あるいは大人はその様々ある価値や世界を意識的に見せることだけしてやり、あとは本人の選択を促すことくらいしか出来ないような気がするのです。
そのためには恐らく出来うる限り、憧れを抱きやすい良質な明るい世界を見せてやる必要があると思うのですが、残念ながら現実の未来はお先真っ暗闇で若者にタヒねタヒねと言っているかの如き厳しさです。
ですから私は私にできることとして、ネットや創作空間において、悩める人々の逃避うんこ空想ワールドを作っておいてあげたいと思う今日この頃。