よつまお

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トモダチがいないいない病3

結論から書いてしまうと、トモダチなんて必要ねぇ、トモダチなんてクソ食らえってことです。以上。
もうこの手の必要・不必要などのぶつかり合いはおそらく有史以来散々繰り返されてきていることと思いますし、それに対する策も数多議論されてきたのだと思います。
だから、大人側のスタンスとしては、もっと色んな価値や世界があるぜ、そもそもトモダチいらねぇぜってことをただ粛々と大人らしく見せていく、ってのが誰でも出来ることなのかなと。
しかし昨今は肝心の大人側にも随分と下らない感性の、というか集団行動大スキーな老害さえもいらっしゃるのでそれもまた悩みのタネではあります。
さて、私本人は友達ってものを断ち切ったように振舞っていますが、実を言うとそこまで自信を持って完璧と言えそうもありません。公にそういう寂しい寂しいというポーズはまず見せませんが、時に動物たるもの孤独を当たり前に感じることだってあります。
要は、私は敢えて意図的にトモダチを断っているだけに過ぎないのです。
友達作りの向き不向き、得手不得手とともに、それは魔法の杖に関係するのですが、頭では他人なんて皆くだらねぇって思っていたとしても、いざ少しでも心を許せそうな相手が出てきてしまうと、どうもそこにのめりこんでしまう性格があるのです。
過去にそういった性質ゆえ、何度も失敗も迷惑も掛けてきているので、自己分析するまでもなく明らかだと思います。異性と縁遠い人が少し優しくされただけで突然意識してしまうのと同類の、あんな感じのめんどくささです。
しかも、大抵今までの傾向からすると、私に対して好意的に接してくれる人は同じような魔法の杖を望んでいる体質であることが多いので、所謂共依存のような悪循環のパターンに陥りかねません。
そのため、酒癖が悪いのを自覚している人が敢えて断酒するかの如く、私もトモダチ断ちをしているというわけです。出来るだけ相手に深入りしないように、心にマホカンタを常時掛け続けています。
ですから、どうも初対面の人や関わりが薄い人からは、冷たい人と印象付けられてしまうのは、そういった理由なのかなと思います。
加えて、私が人と信頼関係を構築しようと思うときには、相手の人生に対して責任を持てること、というポリシーがあります。そしてそう覚悟した相手にのみ全身全霊を捧げます。
言葉にすればかっこいいですが、単に臆病なだけです。他の人たちに対して、手抜きをしているだけです。
人が人に良い影響を与えられることは限られています。そして時には傷つけることもあるでしょう。その人の人生を台無しにすることもある。自分と関わることで相手に与えるそんなリスクをどうしても考えてしまう。
若いときにはそんなことまるで気にせず好き放題していましたが、私はある時から、そういったものはもうこれ以上は御免だと感じて以来、その理念を念頭において人と接するようにしています。
自分でもまあなんと古風な、と思ったりもしますし、おそらく現代社会においてはもっとトモダチってものは軽いものに変遷していると思うのですが、私にはこのくらいのハードルを課しておかないとすぐに魔法の杖探しをしてしまいそうなので。
仕事上の繋がりと、大切な人が一人いればよい。友達100人出来るかな、なんて発禁にしてしまえばよい。
というかですね、そもそも本当に孤独を愛せる人は、こんなネット空間にも依存しないオリハルコンの心を持っていると思うのです。そんな勇者はごく一部。私は所詮町の入り口にいる村人A。
無理をしないで暇さえあればネットの中で息抜きしつつ、時に人と協力し、食えるだけの仕事をして、そしてリアルの価値観の押し付けや老害に心の中でタヒねタヒね言いながら、毎日過ごせばいいと思います。私はそんな感じに過ごしてます。
トモダチなんていなくても、それだけで結構普通に過ごせるものです。そしてはっきり言って忙しければ、友達たくさん欲しい、スクールカーストがー、リア充がー、非モテがー、なんて悩む余裕なんてないものだと思います。そして何かに夢中に熱中していれば、そんな貴方を誰かは必ず見てくれているものだと思います。