よつまお

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【自己責任論】弱者救済は「遺伝子のスペア」を確保する【種の保存】

四方山話シリーズ。

 

現代において、常に一定の言論の波はあるものの、もはや一般的になってしまった「自己責任論」

まったくもって世知辛い世の中になってしまったなぁと思ったりする。

 

おそらく大部分の人にとって、努力や根性などの精神論だけでは絶対克服できない「境遇の差」があるのは理解できるものだと思う。

一方で、いわゆる「弱者救済」に反対する人々にある心情的な大きな理由は、「私達の税金が」という考えであろう。

 

だが、誤解をおそれずあえて極論いえば、「私たちの税金」は「ムダ」になってもいいのだ、という話。

 

そもそも弱者救済はなんのため?

結論から言おう、弱いものをみんなが協力して助けなくてはいけないのは、言い換えれば「助けた方が長期的に良い」理由は、「遺伝子のスペア」を確保するためだ。

 

もっともこの国で言えば、例えばたびたび問題になる生活保護の根拠は、憲法上の健康的で文化的な最低限度の~いわゆる生存権などに基本的に立脚しているわけだ。

 

しかし「この世に生まれてきたからには、誰もが生きる権利があって、何人にも侵されない人権が~」とか言う話は、ぶっちゃけ「どうでもいい」。

 

繰り返すが重要なのは「遺伝子のスペア」だ。人間、人類という種の100年先、1000年先の繁栄を見るのならば、たとえ「現代における」弱者の遺伝子であっても「多様性」を確保するために必要だということだ。

 

例えば、突然第三次世界大戦でも起こったりしたら、現代における文字通りの「強者」だけが生き残るだろう。

ここでいう強者とは、「権力があるもの」「見た目が良く、人望が厚いもの」「たくさんの資産を所有しているもの」「体格が良いもの、腕力が強いもの」などだ。

 

もしそういった「強者」だけが生き残った場合、人類の遺伝子の「多様性」いいかえれば「ランダム性」が著しく失われる。

そしてここで追い打ちをかけるように地球上で天変地異が続発したり、未知のウイルスによるパンデミックが起こったら、おそらくせっかく生き残った人類も滅びることになるだろう。

 

「個性」とは良くいったもので、人はそれぞれ違う遺伝子=DNAを持っている。このわずかな違いこそが、例えば心身の障碍の一因にもなったりはするが、それは反面、前述のような危機的状況に陥った時に、強みとなるかもしれない。

 

この「かもしれない」というところが大切で、例え99/100通りのDNAが死に絶えてしまうような事象がもし起こったとしても、それに「偶然にも」耐性をもった1通りのDNAさえ生き残れば、人類としての種は保存されるのだ。

 

可能性は正直わからない、限りなくゼロに等しいかもしれない。しかし「未来」を望むのなら、出来るだけ「多くの遺伝子=DNA」があるにこしたことはないのだ。

多様性に富んだ遺伝子こそ強さであり、それにも関わらず滅んだとしたら、それは文字通り単なる淘汰であり生物としての宿命に他ならない。

 

しかし多くの人にとってそんなもん「知ったこっちゃない」

おそらく脳内では上記のようなことを理解しつつも、心情的に納得できないのは、100年、1000年先なんぞ「知ったこっちゃない」という精神だろう。

 

その通りだと思う。それが普通だと思う。というか私だってそんな先の話なんて想像もつかないしぶっちゃけ何も思わない。

おそらく人が先の未来を危惧するなんて、長くてせいぜい自分の「ひ孫」ぐらいの世代までだろう。

いや、人によっては、心配なのは今生きている自分自身のこと「だけ」という人だっていておかしくない。

 

人間なんて皆そんなもんだと思う。だからこそ「私達の税金が~」という話ばかり出るし「自己責任」「働かざる者食うべからず」「弱肉強食」などという言論が多数派となるんだと思う。

 

決して間違いではない。いや、仮に間違っていたとしても、それも先述の「多様性」の一つだと思う。

例えば1000年先にその遺伝子が勝ち残ったのなら、文字通り勝ち組だし強者だし正解なのである。

 

だがここで一つだけ想像してほしい。なぜ世界では「保険」というシステムが機能しているのかを。

もしも現在アナタが「強者」か「中間層」だったとしたら、ある日突然「弱者」に落ちてしまったとき、誰にも「保障や補償」を要求せず「滅び」を受け入れるのだろうか?

 

生まれながらに滅びるのが運命だとして、努力の甲斐なく滅びるのが宿命だとして、それに足掻かず簡単に受け入れられるほど、人間は賢くないと思うのだ。