四方山話シリーズ。
むかーしむかし。私が小学生の頃の話だ。私は登下校中に道端などで色々なものを拾ってくる「コレクター癖」があったわけだが、ある日校庭で子どもの小指の先ほどの小さな「モアイ像」を見つけた。
その精巧な作りのモアイ像は、石で出来たものではなく、像の前後をはり合わせたような鋳造の跡があったと記憶しているので、要は何らかの金属製であったと思う。
以前ずいぶんそれについて調べたことがあったが、ネット上でなんら情報はなく結局正体は分からずじまいだった。
そもそも価値があったのだろうか?
例えばそれが何らか考古学的なものだった場合、文字通りオーパーツであり「世紀の大発見」となっていたかもしれない。
しかし普通の学校のグラウンド上。単なる土の表面に、ぽろっとそんなものが落ちているわけがない。ということは、常識的に考えてなんらかの「玩具の一部」であったという可能性が高い。
だが玩具にしては、というか当時にしては、実にリアルで精巧な作りだったのは謎だ。
卑しい話だが、金銭的な価値としてはいかほどだったのだろう?
当たり前だが市場では需要と供給で価格が決定される。つまり買いたい人と売りたい人がいて初めて値段が付くわけだ。
ということは、必ずしも珍しい物、あるいは古い物が高価かというとそうでもない、というのが経済の面白いところだ。
その観点で考えれば、ネット上に何ら情報が無い、ということは、金銭的な価格も低いのだろうということが想像に難くない。
ところでそのモアイ像はどこへ行った?
結論から言えば、なくなってしまった。より正確に言えば、捨てられてしまったのだ。
前述のように私には「コレクター癖」があった。どんぐりから始まり、珍しい形の石だの、金属の部品の破片だの、とりあえずそのほとんどは所謂ガラクタばかりだった。
それを洗うわけでもないから、衛生的にも決して良くなかっただろう。
それらを私は箪笥の引き出し一つに大切にしまっていたわけだが、ある日「大掃除」の際にまるまる箪笥ごと捨てられてしまった。
当時の私は私なりにショックを受けたものだが、かといって成人してから反動でコレクター癖が強まったわけでもなく、わりと適度に整理整頓も行うような一定のバランスに保たれているように思う。
しかしまぁ無形物は兎も角として、少なくとも有形の物に対してはそれほど執着がなくなったのは、血が争えない部分だ。
だが私はいまでも時々道端の小さなアスファルトの破片を見て、ふと思うことがある。
あのモアイ像は一体何だったのだろう?と。