四方山話シリーズ。
普段は老若男女大抵の人たちに基本敬語を使ってるyotsumaoです。
なぜかって、楽だからw 逆に、いちいち人の地位とか年齢とか関係性とか見定めて、敬語とタメ口を使い分けるっていう器用なこと、よくみんなできるよねw
それこそ目上とか目下が同席している場面で、どうやって瞬時に使い分けてるの?って思うレベル。飲み会とかなら判断力鈍るし、絶対間違うわw
だったら最初から敬語の方が私としては楽なわけよ。
しかしさー、例えば年齢が同じだって分かるとすぐに「タメ口にしない?」的なこと言ってくる人ってわりといるんだけど、ああいうの苦手なんだよね。
まぁこれはTPOにもよるし、それこそ人の相性にもよるとは思うけどね。しかし若者間のコミュニケーションなんかではよくある出来事みたいだよねぇ。
タメ口にしたがる人が気持ち悪い理由
そもそもタメ口自体にはなんら問題はない。というか親しくなればそうやって接するのが自然だとは思う。
でも「親しくなれば」っていうのがポイントなのであって、そのプロセスを吹っ飛ばしてタメ口を使おうとする気が知れないわけよ。
例えば知り合って間もないときってのは、やっぱり相手に失礼があったりしちゃいけないなとか、ちょっと遠慮して出すぎないようにしなきゃなとか、色んな理由で敬語を選択するはずなわけ。
ところがね、そんなやり取りを続けていく中で、わりと早期な段階で「タメ口」に移行したい人っている。
まーそういう仲良くなって心を開いていく、んで言葉遣いも変わっていくってプロセスがまどろっこしいと思うせっかちな人なんだろうね。
でも大抵それってさ、自分の心の中しか見てないわけよ。相手がどうしてまだ自分に敬語を使っているのか、ってことを想像すらしていない。
確かに奥手で受け身なためにタメ口に移行できない人がいるにはいるよ。でもそれも敬語を使いたい十分な理由の一つだからさ。
そこの配慮無しに、相手の心を無理やりこじ開けて、自分だけが快適な言葉遣いしたいってのが嫌なわけよ。
タメ口のメリットもあるっちゃある
とはいえ一方で、タメ口だからこそ、より親密になったような気がするし、仲良くなったような気にもなる。んで、お互いがより心を開き合えることってのもあるとは思う。
若者のコミュニケーションが比較的知り合って早期からタメ口なのは、「早く仲良くなりたい」っていう思いとか、「仲良くなった気がする」っていう気持ちを感じたいことの現れなんだろうね。
特にコミュニケーションが薄く広く、かつ早くが要求されるような現代では特にさ。
でもさぁ、基本その「仲の良さ」って幻想だから。仲良くなった「気がする」っていう形だけだから。
もし言葉遣いを変えた程度で通じ合えるなら、最初から敬語でも通じ合えるっての。
せっかく英語圏じゃなくて日本語使ってんなら、語彙力駆使して敬語でも思いを伝えろよ、と。
形は所詮形であって、本質じゃないわけよ。
もちろん単なる仲良しアピールをしたいだけなら、じゃんじゃんタメ口使っていいと思うよ。
でもそれこそ時間をかけてゆっくりと熟成させたい、とか大切に関係をはぐくんでいきたいって人にこそ、きちんと敬語を使うべきなんよ。
人間関係って、時間経過やその過程、プロセスを楽しむってことが醍醐味だとは思うんだけどねぇ。
あ、ここで最後に時間経過といえば、つながりで全然関係ない話。
いわゆるツンデレって言葉があるけれど、あれはツンからスタートし、当人同士の関係性が徐々に発展していくっていう時間経過を伴ったプロセスがあるから、最後のデレが引き立つわけよ。
それなのに、ツンとデレがほぼ同時にやってきたところで全く魅力的じゃないし、ただの情緒不安定な二重人格な奴なわけよw
ったく、どいつもこいつもツンデレを勘違いしてやがる。わかった?w