生まれ育った土地とは別の地域に行き、文化や風習の違いに戸惑った経験はありませんか?
連綿と続く歴史の中で、人間は様々な風習を生み出してきました。
そしてその中には、馴染みがない人にとっては信じられないような、変わったものも少なくありません。
では、世界に、そして日本には、どんな風習があったのでしょうか。
また、どんな風習が残っているのでしょうか。
この記事では、実際にあった/現在も残る、おかしな風習についてご紹介していきます。
纏足
知らない人はいないであろう有名な童話・シンデレラ。
昔話の常として、この物語も本来は恐ろしいものでした。
以下で述べるのは、そんな「恐ろしい」箇所の一部分です。
王子様は美しい女性(シンデレラ)が落としたガラスの靴を手掛かりに、舞踏会で踊った女性を探します。
使者はシンデレラの家を訪れ、彼女の姉2人と面会しました。
しかし、姉の足は大きく、ガラスの靴を履くことができません。
そのため、姉の1人はかかとを、もう1人はつま先を切り落とし、無理やりガラスの靴を履くことにしました。
ここから見られるのは、美しさの象徴としての「小さな足」です。
そして、この童話に似た風習が、かつての中国にはありました。
「纏足(てんそく)」は、古代中国の南唐の時代に起こったとされる風習です。
女児の足を縛ることで骨をゆがめ変形させることで、足が大きくならないようにしたのです。
この風習の裏にあるのは、シンデレラと同じく「女性は足が小さいほうが美しい」という価値観でした。
また、纏足では歩くこともままならず、その仕草は男性の庇護欲をそそったと言われています。
纏足は強烈な苦痛を伴う風習でした。
また、内側に折りたたまれた足は不潔で、頻繁な手入れを要しました。
そのため、幾度か禁止令が発令されたものの、20世紀の初頭まで根強く中国の文化として残り続けました。
現在の中国では、纏足は行われていません。
しかし、高齢の女性の中には、纏足を持つ人も含まれています。
誘拐婚(アラカチュー)
かつてギリシャ神話の女神・ペルセポネは、冥界の王・ハデスにさらわれて妻となりました。これに似た文化が、現在でも残っています。
この風習の名は、誘拐婚。キルギス語ではアラカチューと呼ばれています。
その名が表す通り、男性とその友人が目当ての女性を連れ去り、男性側の親族が女性を説得した上で結婚するというものです。
説得とは言うものの、その実体はかなり無理やりなもの。
女性は不本意であっても、伝統とそれに関係する世間体から応じざるを得ない状況にあるようです。
時折は合意の上での誘拐婚もあるようですが、ほとんどの場合、女性のあずかり知らぬ所で話は進みます。
突然さらわれ、好きでもない男性と結婚しなければならない状況はいかばかりでしょうか。
現在のキルギスでは、誘拐婚が法律で禁止されています。
しかし、その数は減ることはありません。
警察も「伝統」としてこれを見逃しており、裁判に至る事例も限りなく少ないものです。
弔いのための食人
大事な人を亡くしたときは、誰もが辛く感じるはずです。
そして、少しでも長く、その存在を感じたいと考えることでしょう。
自分と同じ人間を食べる「食人」。
この行為は人間の歴史に根強く絡みながらも、最大のタブーとして扱われてきました。
しかし、時と場合によっては、食人が弔いのための行為になりえるのです。
以下で、弔いのための食人に関する風習を2つ、ご紹介してきます。
パプアニューギニア・フォレ族の風習
現在は失われた風習ではあるものの、パプアニューギニアに住む少数民族・フォレ族には食人の習慣がありました。
葬儀の際に、儀礼的に遺体を食べていたのです。
この風習は、「クールー病」という病気の発見によって有名となりました。
弔いのために食人をしたものの、遺体に残る異常プリオンを摂取してしまい、狂牛病に似た症状が現れたのです。
フォレ族では、葬儀は女性や子供の役割だとされていました(男性は狩りに出るため)。
そのため、食人をし、クールー病に罹患したのは女性と子供がほとんどでした。
骨噛み
俳優の勝新太郎氏は父親の葬儀の際、その骨を食べたと言います。
この風習は兵庫県や新潟県などに残る「骨噛み」と呼ばれる風習です。
「食人」と言えばおどろおどろしいものを想像しますが、この骨噛みも弔いとしての食人に入るでしょう。
また、骨噛みは弔いの風習であるだけでなく、死人に対しての心底の愛情や、「大事な人と一緒になりたい」という願望を表す行為でもあります。
現代では珍しくなった風習ですが、公言している芸能人も少なくありません。
もしかすると、これを読んでいるあなたの周囲にも経験がある人がいるかもしれません。
冥婚
エジプト神話のオシリス神は、死後に生者であるイシス神と結婚しました。
死者と生者が結婚している上、2人は子供まで設けています。
これに似た「冥婚」という風習が、現実に存在していました。
冥婚は他の名前を「鬼婚」や「幽婚」といい、アジアで多く見られる風習です。
特に中国は盛んで、「三國志」の中にも、その記述を見ることができます。
冥婚の基本は、死者の魂があの世に行かない間に結婚させ、その後に死者の魂を送り出すというもの。
戦時中に、出兵直前の特攻隊の兵士などが結婚した例がありますが、気持ちとしては似た感じなのでしょう。
台湾では、少し変わった形の冥婚が見られます。
台湾で未婚の人が亡くなると、遺族が道に赤い封筒を置きます。
この中には死者の写真などが入っており、誰かが拾うことで冥婚が成立します。
また、死者と生者の結婚のみが冥婚なわけではありません。
ときには死者同士の結婚や、人形との結婚が行われる場合もあります。
日本の東北に残る「ムカサリ絵馬(想像上の花嫁との結婚を絵馬に描く)」も、この一種です。
おじろく・おばさ
最後は日本特有の、有名かつ少し怖い風習をご紹介していきます。
特に昔は、「家」の存続が重要課題でした。
家を継ぐのは長男であるのがほとんどで、特に大事にされていました。
「おじろく・おばさ」の背景には、そんな時代背景があったのです。
「おじろく・おばさ」を行っていたのは、長野県の1つの村です。
その村の家庭に生まれた子供は、長男に従うことを強制されます。
成長して、社会的な生活を営むのは長男のみ。
それ以外は、男性はおじろく、女性はおばさと呼ばれ、周囲から隔絶されて過ごしました。
おじろく・おばさは結婚もせず、家庭内で下男・下女の役割を果たしていました。
また、戸籍には「厄介」と記されていたという話もあります。
長い間差別を受けて育ったため、彼らの性格は人嫌いで消極的。
それも生まれついての性格ではなく、後天的に作られていったものだと考えられています。
この風習は16世紀頃から行われていたとされ、明治ごろには廃れていきました。
昭和40年に残っていたおじろく・おばさは3人だけ。
もちろん、現在は行われていません。
まとめ
日本や世界にかつてあった、もしくは、現在も残る風習について解説してきました。
風習とは、人が紡いだ歴史のなかで生まれた文化そのものです。
それ自体は決して悪いものではなく、微笑ましく思えるようなものも少なくありません。
しかし時には、ここでご紹介したような一見変で、少し恐ろしい風習が生まれることもあります。
もしかすると、それはごく身近にあるのかもしれません。
寄稿者:O.G.
編:yotsumao