よつまお

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【地球に優しい?エコ】マイクロプラスチック問題を考える【環境汚染】

(約4,000文字) 四方山話シリーズ。

 

昨今ネットニュースをにぎわせたものとしては、やはりウミガメの鼻に刺さったプラスチック製ストローだろう。

そのショッキングな光景はSNSを中心に世界中を駆け巡り、それがきっかけとなりスターバックスはストロー撤廃までを言い出したわけだ。

それに呼応・迎合するかのように、各企業でストロー廃止の声は高まりつつある。

 

個人的にはわりとどうでもいい話題なのだが、少なくともタピオカ信者にとっては由々しき事態であろう。

(とはいえ一方で、あの画像自体が過剰なフェイクなのでは?というやらせ疑惑や批判もあったほどなのは付言しておく)

 

しかしこれを機に、海洋上に捨てられるプラスチックごみの廃棄問題が顕在化し、いわゆるマイクロプラスチックによる生態系破壊の懸念や人体への悪影響までが活発に議論されるようになった。

 

一般的にマイクロプラスチックは1ミリ単位あるい5mm以下のものと定義されているが、その名の通りマイクロレベルの非常に微小なものも存在している。

 

真偽のほどは別として、海外ではミネラルウォーターからも検出されたという衝撃的な報告さえあるほど身近になってきており、ウソかホントか潜在的にさまざまなモノに混入の危険があるというわけだ。

 

ということで、今回は少しプラスチック製品について考えておきたい。

 

そもそもマイクロプラスチックは有害なのか?

この点に関してはさまざまな可能性が示唆されているものの、現状まず間違いなく言えることは「研究データの蓄積と実験結果を待ちたい」というのが率直な感想だ。

 

指摘されているのは主に、プラスチック片を飲み込んだ魚や貝など水棲動物の消化管や呼吸器の閉塞等の物理的な害、生物の体内に蓄積することによって有害物質を吸着し、生体濃縮されたそれを食物として摂取したヒトへの影響などだろう。

 

しかしこの手のニュースで常々思うのは、人間というものは集団心理が働きやすく実に大衆的だな、というところだ。

振り返れば、割りばし自粛によるマイ箸やレジ袋削減によるマイバッグ導入などの流れを見ても、何やら「人体に悪い」「環境に悪い」あるいは「地球にやさしい」というキーワードに弱いらしい。

 

例えば記憶に新しいところでは、ダイオキシンをはじめとした内分泌かく乱物質いわゆる環境ホルモン。一時期は連日ワイドショー等で取りざたされ騒がれたものだ。

それによって当時ビニールやプラスチック製品に対するバッシングは多かったが、後になって、人に対しての影響は無視できるレベルであるという研究成果によって沈静化して(飽きられて)いった。

 

また、ネット上の言論において有名なところでは、マーガリン(ショートニングやファットスプレッド)有害説も根強い。

しかしこれも少なくともトランス脂肪酸の摂取割合が少ないこの国の人々にとっては気にする必要のないレベルの話である。

逆に少し歴史をさかのぼれば、むしろ動物性油脂のバターは健康に悪く、植物性のマーガリンこそヘルシーであるという言論さえもまかり通っていたにもかかわらずなのだから、大衆とは実に身勝手なものだ。

 

つまり極端に言えば「とりあえず"なんだか分からないが"体に悪いみたいだ」といった噂や先入観から、人は人造の物に対し簡単に悪者のレッテルを貼り、実に過剰に神経質になる部分が否定できない。

 

マニアックなところで言えば、洗顔料によく含まれていた「スクラブ粒子」の禁止、薬用石鹸におけるミューズ等のトリクロサン・トリクロカルバンの禁止も類似の部類になるかもしれない。

(ちなみにミューズの有効成分はイソプロピルメチルフェノールへの切り替えを余儀なくされた)

 

今まで利益を存分に享受し便利に使っていたものを、または好んで使っていたものを、突然ヒステリックに皆が同じ方向を向き拒否しはじめる。それがどんなにその時点における根拠が薄弱であったとしても。

統一された絶対的価値観などない流行や世論、多数決の一種の恐ろしさだ。

 

実質的に食物連鎖の頂点に君臨する哺乳類として人間が生きていく以上、その歴史の中で開発されていくモノは、ヒトに環境に地球に動植物に「同時にまったく何ら害を及ぼさない」というのは到底ありえない。

それが可能なのは所詮空想上の箱庭内だけであって、頭お花畑な机上の空論にすぎない。

悲しいことだがリスクとベネフィットのバランスを取り続けながら、もがき生きていかざるを得ないものなのだ。

 

確かにプラスチックゴミの問題は深刻で放置できないものであるし、人々のマナー意識だけではもはや到底解決できず、何らか対策を講じなければならないのは不可避なことではあると思う。

 

とはいえストロー、ひいてはプラスチックそのものを完全に使用しなくなるということは果たして可能だろうか?プラスチック製品をすべて生分解性のある再生可能な代替品に置き換えることは本当に可能なのだろうか?

 

この部分に付きまとってくるのが、結局のところ「コスト」の観点だ。現代社会における企業にとってはエコを無視できないとはいえ、効率的なビジネススピードが特に要求される昨今、エコだけを考えられるほどの余裕もない。

またかえって高コストで環境負荷になってしまっては元も子もない。早急な姿勢は要求されるものの、既存のものを変えるというのは時間のかかる工程なのだ。

 

とはいえスタバの決定は企業の姿勢として正しい

より正確にいえば、その方針は自由だし称賛されるべき側面もある、といったところだ。

世界的に知名度のある企業が、エコでクリーンなことに取り組む。イメージ戦略としては間違いなく正しい。

 

では視点を変えて、スタバと取引契約していたストローのメーカー・製造会社にとってはどうなのだろう?またはそれのデザインやオーダーを担当していたであろうスタバの社員はどうなのだろう?

 

あえて極端に言えば、人の失職・失業、ひいては企業の倒産や産業破壊にまでつながりかねない強力な影響力をもつ決定だということだ。

スタバにとって、あるいは環境や動物にとっては良いことであっても、別の側面にとっては利益どころか大きな損失を被ることになるだろう。

 

スタバのストローの取引先・被雇用者は周りまわって、スタバにとっての顧客・消費者である。その昔、フォードが従業員が車を買えるようにと厚遇したことがあるわけだが、この観点はマクロ経済においては正しい判断と言える。

 

マクロ経済には「外部性」がない。ゆえに投資した何かは巡り巡って自身に還元されるし、逆に誰かが被った損失は実は誰かが肩代わりしてくれているのだ。この文脈において、その役割を仲介し中心的な役割を果たすのが国という存在だ。

 

例えば先述の割りばしの自粛によって、国内の割りばし産業の従業者は被害を被ったわけだ。

だが極端な話、仮にそういった人工発生的な淘汰が起こったとしても、その際にセーフティーネットが健全に機能してさえいればいい。この場合、失業保険や生活保護がこれに当たる。

 

多くの企業は100年先を見据えていない。多くの人々は10代先の子孫のことを考えてはいない。そういった超長期を見通した政策を行うことができるのは、国家以外にはあり得ないのだ。

 

これだけ普及しつくしたプラスチックを使わない、という未来は少なくとも客観的に現状を見る限り、容易に想像することはできない。そして国際的なコンセンサスを得て全国が主体的に禁ずることも難しい判断であろう。

(とはいえ他方で、自販機や量販店における缶ジュースや紙パック・瓶飲料市場にて瞬く間にペットボトルが主役に置き換わった前例があるわけで、決して全否定できるものではないが)

 

つまり今間違いなくできることというのは、石油系ポリマーをすべて生分解可能なポリマーとすることを目指すために、その産業への投資を促すことだろう。すなわち積極的な減税こそが、国として真にエコに取り組む姿勢ではないのだろうか。

 

国がセーフティーネットを整備すると同時に適切な優遇措置を講じ、それを通して様々なヒトが知恵を出し合い、固定観念・概念にとらわれない多くの企業が競争し、そして最も優れた解決策を提示できた人が評価され、結果的にそれに協力した企業も成長する。

これがマイクロプラスチック問題における最適解のプロセスだと考えている。