よつまお

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【キレイな世界は】クローズアップ現代の例の出演強要の件【脳内だけにして】

さて、昨今なにやら業界内外の対立が鮮明化して、それによって随分と様々な問題(?)が取り沙汰されてきているね。

 

karasmoker.exblog.jp

今までこの手の話題を見る限り、おおよそ反応は二手に分かれていて、一方は"なんてことでしょう!即刻汚らわしい世界を必滅しなければ!"と、他方は"いやいや、太古からある職業で必要悪、ってゆーか個人のリテラシ問題じゃねーの?"。大抵要約すればこんなもんだろう。

 

そんな中、冒頭記事内の指摘は非常に面白い。

放送において最も問題があるなあと思った点は、AVあるいはAV業界の良い面が、25分弱の放送の中で、ただの一言さえも触れられなかったところです。

この業界の演者、あるいは関連産業の従事者は皆が強要されているわけではない、否、むしろそんな被害はごくごく一部なのはご承知の通り。んでもって、当然にその仕事を自らが進んで選び、所謂やりがいを感じている人もざらにいるわけだ。

 

というか、そもそも強要だなんだとそんなことを言い出したら、この世の中にごまんと蔓延るブラック企業の方が、もっと日常的に人権を蹂躙してるんじゃないですかね?

 

ところが、なぜかキレイな世界を夢見る人にはさっぱりその部分を見ようとしてくれないらしい。

まー確かに性というセンシティブな問題で、かつ当事者の女性または周囲の男性も含め、思想の根幹を担いうる要素であるから、どうも事が大きくなっている気がしてならない。

 

ちなみによくある議論で「当該産業をなくしたら犯罪が増える」というものがあるんだけども、、

確かにそういう統計はあるにせよ、それにはいささか横暴に思える部分もあるし、その通りだと納得せざるを得ない部分もあるんだよなぁ。

 

例えば「火遊びできる場所を用意してくれなければ放火しちゃうぞ!」ということでしょ?

この言い分だと全くもって不可解で同意しかねるんだけど、例を変えて、同じ人間の本能に根差したものに置き換えて「食べ物が与えられなかったら食い逃げしちゃうぞ!」だとすると、何だか同情の余地が見えてきたり。。

 

要は単に言い方の問題、すなわち賛同意見や逆に拒否反応はほとんど感情論と同義なんだよね。

 

というかぶっちゃけ現代社会において、当該産業は必要悪でもないし、貧困の末に行き着く底辺の仕事でもないのは、様々なドキュメンタリで明らかにされていること。

(それが歴史上どんな成り立ちだったとしても、結果的に女性たちの貧困のセーフティネットとして機能していたとしても)

 

この点を訴える人が大メディアにおいてまだまだ少ない、というのは余計に彼らあるいは彼女らを閉鎖的な世界に閉じ込めることになるし、いつまでたっても所謂アンダーグラウンド色は拭えないんだよ。

 

さて、冒頭記事中において最も重要な部分は以下。

その人を本当に救うには、「AVに出たなんて恥辱だわ」という感覚を取り去ってやることです。そのためには、AVに出ることはなんら悪いことで はないというメッセージを放つことです。AV蔑視のある限り、その人は永遠に救われません。そんなメッセージは放てないというのならば--断言してもいい --あなたはその人を救う気がないんだ。自分の差別精神と偏狭な価値観が大事だから。
上記は正に読んで字の如くの被害者に対しては必要十分形のメッセージであって、これ以上もこれ以下も存在しえない。
 
ここでもう少し上記の言葉を飲み込むために、観点を変えて創作物の世界での例を挙げよう。※一応ネタバレ注意である。
 
"2007年に虚淵氏が企画脚本を務めた続・殺戮のジャンゴ内において、主要人物のひとり――名前のない女「ノーバディ」が物語中で99人の男に辱めを受ける。しかしその直後、キリのいい数字にするためだけに近くにいた男を逆に辱めて、まるで何事もなかったかのように100人斬りを達成し、本人も満足する。"
 
「はぁ?エ〇ゲーの中の話だろ?現実の被害者の気持ちを考えたことがあんのか!?無神経!不潔!」
という感情を持った人は、上記の記事引用の真意を全く汲み取れていないし、その上で創作内容の引用の解釈も出来ていないんだよなぁ。
 
犯罪者たちは、決して自己の女性経験の乏しさや恵まれなさだけを理由として法を犯すわけではない、というのは調査から明らかにされていること。
 
すわなち、女性としての尊厳を奪ってやった、という点が目的化していることも少なくない。
ということは逆転の発想として、そんな辱め(と犯罪者側が思っていること)を受けたところで、当の女性たち側は全く微塵も尊厳は奪われたと思っていない、という価値観を浸透させることは十二分に対策になり得るって話。
 
全くもってふざけた理屈に聞こえるだろうが、確かこのことは、大昔にとある新聞の被害者の心のケアに関する言説内で展開されていたものと、ほぼ同じだと記憶している。
ゆえに被害者側にとっては、自責の念をふり祓うためにも、所謂穢れなどというものを感じさせないためにも、俗にいう野良犬に咬まれた論は決して無意味ではないということ。加えて無用な狂犬病にならないためには、本人のケアと同時に周囲だって当然に同じ感覚を共有する必要があるわけで。
 
要はですよ、出演強要に話を戻せば、それを恥辱である、という先入観が当人も含め周囲の多くが持つからこそ、重箱の隅を突くがごとく問題が提示されてしまうわけだよ。
悪徳な業者はごくごく一部なのは、この問題に熱心な川奈まり子氏や関連業界・関係者へのインタビュー等から自明であって、それはどんな職種においても同じことなのにね。
 
というか極論、出演すること、それに従事することが誇りでありスタンダードなことだ、という世論を作り出すことが出来ると、むしろ制作側は出演の強要なんてする必要自体ない上に、あえて詐欺的な騙しの説明すら不要になる。
 
まー、たぶん多くの人にとっては、何を言ってるんだお前は、状態なんだろうと思うけども、少なくとも私は以前ネットラジオ上で言及した通り「ビッチ萌え」なので、この考えに全く違和感は覚えない。
 
というかね、いい加減、人間が何だかキレイなものだっていう見方やめません?そして人類が皆で協力すれば、いつかはその純粋無垢な世界を達成できるかのような話とか。
その理想は脳内のお花畑にだけ咲かせておいてくれればよくて、もっと汚物まみれの肥溜めのような世界自体を受け入れて愛してから、落ち着いて物事を考えた方がいいと思うんだよね。