よつまお

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魂と云うモノの所在

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Self Review

2015年1月期規定テーマエッセイ。先行公開分。書き下ろし。

しばらくの間、執筆および掲載自体を見送ってきたのだが、ようやく身辺が落ち着いてきたこともあり、再始動での文章。

テーマ的にも書きやすかったことと同時に、既に脳内で考えに耽っていたものがちょうどよく内容に合致したのはタイミングに恵まれていたかもしれない。

ゆえにブランクがあるわりには、それなりの形に仕上がったように思うが、しかしながらやはり2ページとはいえ、久々過ぎて思うとおりいかず、結果的に時間を費やしてしまったのが反省点である。
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  ~私の信仰~
    魂と云うモノの所在

 私は随分と長く、〝魂〟というものは何なのか、その答えを探してきた。

 しかし私は当然に神秘主義的なオカルトからは距離を置いているし、ある意味で宗教という存在へも懐疑的と言ってもいいかもしれない。

 とはいえ、海外においては自身が無神論者であると答えるのは余りにも非常識的であるがゆえ、世間的には神道を信仰しているとでも答えておいた方が良いのだろう。

 さて魂とは、果たして何処にあるのだろうか。

 ある人は肉体に宿ると言い、またある人は心の中にあると言う。しかしそれらは実に非科学的なのは言うまでもない。

 仏教的価値観では、全宇宙的な〝何か〟が全ての魂を管理・相続している、という論説もあるのだが、残念ながら私はそんなものを感じられる繊細さを持ち合わせてはいない。

 一体魂は何処だ? 私は探し続けた。

 そして最近ふと頭をよぎったことがある。

 魂とは記憶と同義であるのではないか?

 ある人が生きていた記憶を誰かが脳内に留め、あるいはその人が生前使用していた物や場所が、誰かの所縁のものとなる。

 魂とはそうやって存在し、そしていつかはそれを引き継いだ人達や物質の滅失と共に、魂自体もまた完全に消滅する。

 魂とはある時はとても強く、しかし実に儚く脆い概念だけの存在なのではないだろうか。

 私は再三に亘って、私の宝は記憶である、と書き続けてきた。

 私自身にとってはそれ以外に信じられるものはないし、それこそが私の世界の全てなのである。

 私の魂を継ぐモノは要らない。私が終末を向かえた時、キレイに記憶も消えるのだから。