よつまお

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【たった一人の君だから】友達の数……ゼロ。これを人に話すと驚かれること…

だいぶネガティブなことが書かれたりしている。

当時の心のモヤモヤを文章にぶつけた形なのだろう。その心境は今はそれほど強く思い起こすことは出来ないが。

セルフレビュー

とはいえこれもある意味真実の私だ。

エッセイというジャンルを意識して書き上げることが出来た、初めての作品だったと思う。

 

最後のまとめ部分は、非常に私好みの一文だ。

たった一人の君だから

友達の数……ゼロ。これを人に話すと驚かれることが多々ある。私も社会に出て早数年。きっと人と関わりあうことが一番多い年代だろう。だが未だ私には親友はおろか友達と呼べる人は一人もいない。

 

しかし、周りの反応と違って不思議と悲観していない自分がここいる。それこそ幼い頃から、友達というものは環境や立場で変わるものだと勝手に納得していたし、自分の人生で必要な時に必要な人はきっと現れると楽観しているのだ。

 

とはいえ、今に至るまで真の友人数が本当にゼロなので、自分でもその理由を色々分析しなかったわけではない。私の考察によれば、この現状を生んだのは幼い頃の環境に起因している。

 

私は生まれたときから体がとことん弱かった。喘息やアレルギーをはじめ、風邪や麻疹で冗談抜きに死にかけたこともある。幼稚園なんて入院続きでまともに行った記憶すらない。今となっては、人並みの健康を手に入れられているのは有難い話だが、当時は幼心に自分は人とは違うということを少なからず認識していた。

 

当然のようにいじめもあった。いま考えれば子供ながらの平凡な、それでいて時に残酷な、巷にありふれたレベルのものだ。別に今更それがトラウマになっているなんていうことはないが、その当時から少し考えが変わったのは否定できない。

 

その一つが、自分の考えを抑え、人に主張しすぎてはいけない、というものだ。嫌な言い方をすれば、人の顔色をうかがう、とでも言い換えられるだろう。

 

長期間休みまくっている自分が珍しく復活したとき、でかい顔してどうやって他人に接しろというのか。私には出来るだけ当たり障りなく日常を暮らせることの方が至上命題だったのだ。

 

自分から人に話しかけるなど以ての外だ。だから、気さくにも私に話しかけてきてくれる人は無条件に友達だと認識したし、反対に離れていく人を追いかけることは無かった。

 

私が病気で学校を欠席し、仲の良かった人といつの間にか疎遠になっても、それはそれで仕方が無いという理由付けをしていたのだ。

 

さすがに大人になってからは、少しずつそんな消極的な自分も変わり始め、自分から何かアクションを起こすことも少なくない。しかし、どうも私は未だに人付き合いというものに対して上手いスタンスが取れないようだ。

 

下手に歩み寄りすぎて、色々と大火傷したことも数え切れない。結局のところ、もう二十数年も共に生きてきた考え方を変えるのは容易ではないということだ。

 

世間でいうこの孤独が、時に心地良くもある。誰にも縛られず、誰にも属さないこの自由は、友達百人で忙しい日々を送っている人にはなかなか経験できないものだろう。

 

もちろんまるでドラマのような充実した毎日に憧れないこともない。だが、そんな自分を想像したところで所詮柄じゃないのだ。

 

曲がりなりにもこうやって生きてきたこの自分は誰よりも誇らしいものだし、人からすれば良い部分など全く無いかもしれないが、こんな自分が大好きである。別にナルシストではなく、単に自分を本当に理解し、好きになれるのは自分だけだからだ。

 

一人で過ごす期間がこれだけ長いと、どうも自分の世界というものが広がりすぎる。常に誰かと共に日々を生きてきたわけではないので、自分のやってきたことは自分にしか分からないのだ。

 

以前は、この思い出を共有できる人が欲しいと考えたこともあったが、もはや今から自分と価値観を同じくする人を見つけるのはなかなかに難しいだろう。

 

親からは、そろそろいい人でも見つけて結婚はしないのかい? なんていう声が聞こえてきそうだが、無茶な話だ。どう考えても私はそういう器ではない。

 

人と人との出会いは宝物だとよく言われる。もちろんその考えは理解できるが、私にはいまいちしっくり来ない。今まで縁がなかったせいで、想像しか出来ない代物なのだ。

 

私にとっては、いまこの私の頭の中にあるあらゆる記憶だけが宝物だ。悲しかったことも楽しかったことも、自分だけが知っている。私が本当に道に迷ったときも、最後に勇気をくれるのは自分自身だけだった。

 

この素敵な記憶の欠片をどうやって残せばいいだろう。友達がいないということがアイデンティティの、この私だけの世界を何とか外の世界に伝えられないものか。

 

そこでふと私はペンを執る。ノートには今まで描いた夢と現実を忘れないよう、私が書き殴った文章でごった返している。

 

さて、今日は友達いっぱいの物語でも綴ろうか。