最近は実世界に限らずネットという世界でも、色々な分野の人の言論に対して非常に簡単に接することが出来るようになって、便利になったもんだなぁと思う。
そんな中で感じることってのは自らの語彙力の未熟さと共に、これってまさにその人の教養レベル自体を表してるよねってこと。
いやぁレベルなんていうと何だか雰囲気違うんだけど、かといって位階でもないしカーストでもヒエラルキーでもない。
なんだろうって考えるうちに、あぁこれって人との相性ってことだわ。って思ったわけ。
会話が成り立たないケース
A「チョベリバじゃねぇ?(死語)」
B「ちょっと何言ってるかわかんないです」
まぁ極端に言って、若者とうまくかみ合わない大人が多いのは、単に狭いコミュニティで培ったニッチ過ぎる言葉を外の世界でも使うからなわけだよね。
これはその時代における言葉の意味の変遷もそうだし、そもそもある言葉を知っているか知らないか、にも依存する。
語彙力はちょうどよく
大抵の人ってのは、自らの専門分野や詳しいことってのが何かしら存在するわけだけど、そこでの用語をまるで分野外の人に使っても会話は成り立たない。
それは学術的で難解な分野に限らず、サブカルチャーにおいてもそう。だからそういう自分の世界の言葉を使いたがる所謂オタクが世間にイロモノ扱いされるのは、語彙力も一因だろうね。
語彙の豊富さがあるならば、会話する相手に合わせて言い換える必要があるってこと。
ボキャブラリーの押し付け
「このアジェンダはフィックスだから、レジュメくばってコンセンサスとっておいて」
もうさっぱりお前は何を言ってるんだ状態だけど、私も確かに外資やITにいたときには、よく耳にする類だし自分も調子乗って使っていたものだよ。
確かに業界用語などだったらその方が通りがよかったりするわけだけど、上記のようなルー大柴を誰もが使わなきゃいけない訳じゃないよね。
語彙力やあるいは英語力を知的レベルだと勘違いしちゃうと、周囲の信用は必ずしも得られない。
相性診断するときは
そもそも相手がどのようなボキャブラリーを持っているか、またそれは高いのか低いのか。そして加えて、自分と同じフィールドで無理なく会話が成立するか。
多少のレベルの上下が互いにあったとしても、もし無理することも無く、かといって遠慮することもなく会話が気持ちよく行えるとしたら、それは相性が良いということ。
少なくとも相手は、自分のフィールドに合っている(あわせていてくれる)というわけ。あとは相手が如何に自然体で会話しているのか、そして自らもどのように語彙力を発揮できているのかを見極めるだけだよね。
まぁただし人ってのは、いつぞやの某佐村河内氏・某小保方氏・某ショーンK氏みたいな人物の場合は、途端に見誤ってしまう可能性があるのは注意だよね。
結局のところ、自らが思う「普通」が相手に通じること、そして相手の「普通」を自らも「普通」と思えること、それが相性が良いと表現できることなのかもしれないね。